集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

こどもの日スペシャル。 6(5-11) 六・三制の出発 (わたしたちの村つくで 改訂版)

花0506。 もう少し天気のよい日差しのある日になると思っていましたが、薄曇りの一日でした。  ゴールデンウィークの祝日、その日に因んだイベントや催しがいろいろありました。  4日に立ち寄った公園は、入口に「みどりの日、本日は無料開放」の表示があり、園内には多くの人がくつろいでいました。  5日のテレビやラジオでは、“こどもの日に合わせた番組”があり、ニッポン放送の『こどもの日スペシャル あなたにむけて、よみきかせ』では、昨日発表された第69回産経児童出版文化賞の受賞作を女優 森田望智さんが朗読したそうです。  午後、聴きました。小学2年生の“つくし”と2つ年上の“おねえちゃん”の日常が…。  郷土読本『わたしたちの村 つくで』(2004新改訂版発行)の「6 作手村のうつりかわり」からです。 ********     5 明治から平成へ     戦後の作手村   六・三制の出発  日本を占領したアメリカ軍は,平和で民主的な国にするために,制度を次々と変えていきました。そのため,学校のしくみも大きく変わりました。1947年(昭和22年),国民学校がなくなり,小学校6年,中学校3年の義務教育が始まりました。作手村にあった菅守・開成・巴・高松・旭・田代の6つの国民学校はそれぞれ小学校になりました。そして,新しく3つの中学校ができました。中学校には運動場も校舎もなかったため,あちらこちらに分かれて授業をしました。食糧増産のための作業も多く,教科書も学用品も足りなかったので,勉強するのに大変こまりました。  1948年(昭和23年)には,第一中学校が作手中央中学校,第二中学校が作手南中学校,第三中学校が作手北中学校という名前になりました。
炭ぬり0506。
 戦争が終わったばかりで,大変苦しい時でしたが,村の人たちは,力を合わせて校舎をつくりました。中学生たちも建設のためにあせを流しました。  また,巴国民学校の校舎が火事で焼け,市場・相寺・作手農林学校と3か所に分かれて勉強をしていました。そして,1948年(昭和23年)には,現在の場所に校舎が建てられました。このように,戦争後の作手村では,学校を建てることが大きな問題でした。六・三制では,それまであった中等学校や青年学校がなくなり,中学校を卒業した生徒が勉強する学校として,高等学校が置かれることになりました。作手村では,農林学校を新制の高等学校にしたいと考え,1949年(昭和24年)に,新城高等学校作手分校ができました。
校舎0506。
********  注)これまでの記事は〈タグ「新わたしたちの村」〉で  注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。  注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。 【関連】   ◇プレスリリース 第69回産経児童出版文化賞産経新聞社)   ◇こどもの日スペシャル あなたにむけて、よみきかせ | ニッポン放送radiko
よみきかせ0506。
  ◇森田望智 Misato Morita (@moritamisato)Twitter)   ◇『つくしちゃんとおねえちゃん』(福音館創作童話シリーズ/いとうみく・作/丹地陽子・絵)