集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

2.(7-1) 江戸時代の農民のくらし (わたしたちの村)

鳥0622。 朝は青空でしたが,徐々に雲が広がった曇りの日でした。  最近,地区の防災活動や防災備品・備蓄について,確認や打合せを何度かしています。  「もしも…」について思いを巡らせ,限られた予算のなかで,できる対応を検討しています。  備品や備蓄が使われないうちに"期限”となることを願いながら…。  郷土読本『わたしたちの村 つくで』(1995・平成7年 改定発行)の「二、作手のうつりかわり」からです。 ********     (七) 江戸時代の農民のくらし    1 ききんと百姓一揆  江戸時代の作手の大部分は,天領と伊勢の鳥羽藩の領地でしたが,そのほかに,今の菅沼学区と大和田が,鳳来町海老に陣屋のあった,三千石の旗本菅沼氏の知行所でした。菅沼氏は,作手のほかに鳳来町の西部と山吉田をもっていましたが,三千石ばかりの旗本なので財政が苦しく,米年貢のほかに,時には,茶年貢や竹年貢・栗丸太代などもとりました。傘連判0622。そのほかにも二千四百両もの御用金をとられ,さらに「千両を出せ」と言われたり,「村々の神社の木をとりあげる」などと言われました。続くききんと,きびしい年貢のとりたてにおこった,大和田・木和田・御領・道貝津・小田・善夫と笠井嶋・鳥田・塩瀬・大輪・恩原の11の村の農民が,1854(嘉水7)年1月14日,木和田のうら田にあるあかし場という所へ集まり,『傘連判』を作り,御用全のとりやめをうったえようどしました。1月16日の夜12時に,ついに一揆は決行されました。みのとかさをつけて,くわやかまを持ち,むしろ旗をおし立てた472人の農民は,新城の桃牛寺へ集まり気勢を上げました。しかし,このさわぎも本家の新城菅沼氏の役人にとりしずめられ,御用金の千両を分けておさめることで解決しました。この一揆に参加しなかった上菅沼村ど下菅沼村は,後になって殿様からほうびをもらいました。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「わたしたちの村」〉で  注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。  注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。