集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

『福島の子どもたち』(鈴木庸裕・編著)

花0525。 朝,雲が目立つ空でしたが,日中は青空になり晴れて,気温が上がりました。  けれども,気温ほどに暑くは感じなかったのは,風が冷たかったからでしょうか。  メールを確認すると「新型コロナウイルス感染症の予防措置として,△△することとし…。」との連絡がありました。  先週の連絡から変更されました。  収束の見通しは,まだ先で…。  新型コロナウィルスの感染拡大の状況を「災害レベル」と表現しているのを見かけます。  最初の緊急事態宣言の発出時にも目にしましたが,その対応や措置は“平時”が続ていいたような気がします。  以前の新型インフルエンザの大流行,東日本大震災の発生,原子力発電所の事故が連続して起こりました。あれから10年が過ぎ,今だから口にできること,これからに繋げることが,さまざまに発信されています。  その一つといえる図書『 福島の子どもたち おとなに何ができたのか』(かもがわ出版・刊)です。  「福島の子ども…」は,震災はもちろん,その後の“放射能”という見えない恐怖に苦しめられました。  この“見えない恐怖”は,現在の新型コロナウィルス感染への不安・恐怖と重なります。  子供達は,昨年度の学校再開後,“これまでと大きく違う学校”で過ごしてきました。  その中で,子供は「どのように思って…」「何を感じて…」きたのか,大人は聞き,話してきたでしょうか。
 大震災、原発事故から10年。  当事者としての子どもの存在が見えていますか。  子どもたちに寄りそってきた学校、保育園、学童、地域子育て、児童福祉、障がい児支援の現場スタッフたちによる手記、支援者を育てる立場で関わる専門家の論考、今はおとなになった震災当時の子どもたちの振り返りで構成。
 その“気づき”が,本書にヒントがありそうです。  この10年,子供達に寄り添ってきた執筆者が,その“取り組みと思い”を綴っています。順に読むには,それぞれの思いが強く,読みづらさがあるかもしれません。  見出し,執筆者の立場などから選んで読むのが,読みやすいかも。  福島の子供の育ちから,新型コロナ禍を過ごす子供のこれからを考えませんか。  教育に携わるみなさんに聴いていただきたい“”があります。  読書メモ
○ この新型コロナ禍でのおとなのあり方を見るにつけ,震災の教訓をいかせず,十分な備えをしてこなかったのではないだろうか,コロナ禍の狭間にまたもや「子ども不在」を見つけてしまった──こうした思いがあります。 ○ 私のその一曲は,ゆずの「栄光の架橋」です。決して「ポポポポーン」のCMではありません。 ○ 行政機能そのものが移転する中での学校現場の努力 ○ カウンセリングの担当者にまなちゃんの絵を見てもらったら,「家庭内に意見の違いがあり,“白”か“黒”かという環境があるからではないか」と言っていました。わたしまでないか息苦しさを感じました。 ○ お母さんにそのことを話したら「お迎えにいくとき,いつも外で遊んでいたじゃない」と言いました。まなちゃんが言う「」とは「自然の中」のことではないでしょうか。 ○ 新型コロナウィルス感染拡大のなか,家庭,学校,地域で,子どもの“”を聴いているのは誰なのでしょうか。
   もくじ はじめに──またしても、子ども不在 第1章 おとなは子どもたちを支えることができたのか 第2章 子どもの声を聴き、子どもの力を引き出すために 第3章 これからの支援者、専門家の役割を考える 第4章 子どもだった私たちはおとなをどう見ていたか 支援すること、寄り添うこと──あとがきにかえて