集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

確定申告。仔馬の行列(1) (つくで百話 最終篇)

申告0227。 天気の良い一日でした。  午後,手紙を投函しに郵便局のポストまで,芽吹いた草花を捜しながら,歩いて行きました。家から出ることの少ない日々で,“数日分の歩数”になっていました。  毎日歩いたり運動したりしないとマズイですね。  会社員の方は,勤務先で年末調整など手続きをいろいろしてくれますが,自営業では,この時期に確定申告を行います。また,医療費控除などは確定申告で行います。  以前にe-Taxのことを紹介しました。e-Taxで申請後の処理状況は,ネットで確認ができました。  初めての設定に戸惑いましたが,書類作成や申請は分かりやすくスムースでした。  すでに処理は終了し,税務署から通知も届いています。  皆さんは,e-Taxでしたか,窓口でしたか。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     仔馬の行列   平松宥明  「オーイ,トウザイ(仔馬を当歳と言った)が,たくさんに通るぞォ」と,言う声が前の往還の方から聞こえてくると,そそくさと家から飛び出して見る。宮崎街道を馬喰に引かれた仔馬の行列が二・三百メートルも続いている。  仔馬は二・三頭,中には五・六頭も数珠つなぎにされ,馬喰が手綱をとってポカリポカリと歩いて行く。仔馬の胴体には紅白の腹帯が掛っていた。親恋しさから時々「ヒヒーン」となき声をたてる。栗毛・黒・白,とりどりの仔馬の群である。時は九月の下旬頃,馬喰たちが被っている菅笠や鏝頭笠に,太陽が強く反射している。一杯機嫌の馬喰たちの大きなダミ声が響き,村中が急に賑かくなった。これは,六〇余年前の少年の日の想い出である。あの仔馬の行列が延々と続いていた見事な光景は,今も私の瞼にこびりついている。  宮崎街道を降って岡崎方面へ行く仔馬の行列の他に,市場の町尻の辻から新城や遠州方面へ向う仔馬の一団もあり,田原に馬市のある日の前後は,村中がお祭のようにわきたったものであった。   仔馬の市  馬市が行われたのは,東田原の弘法前の草っ原であった。正面には四尺(一,二メートル)くらいの高さで桟敷がつくられ,幔慕が張りめぐらされ,そこに産馬組合の役員や来賓がつめかけていた。広場には飼主に伴われた親・仔馬がぎっしりと並んでいた。それを取り巻いて幾百名にものぼる大勢の観衆がひかえていた。 馬0227。 冷酒で元気づけられたセリ人や馬喰が,大きな声をはりあげてセリあげて行く。飼主は一喜一憂の表情で,これを見守っていた。明治三十年頃の記録によると,最高五円になったものもあったが,二円五拾銭にしかならなかったものもあった。  日露戦争を契機に,馬の相場も急に上昇して十倍にはね昇ったが,平均すると二十円くらいであった。  馬市には郡外の千万町・下山・笠井嶋からも仔馬が集まった。多い時には二・三百頭も集まり,百二・三十頭の時代が長く続いたと聞いている。大正初年,産馬熱がさがって,牛に代りつつあった時代でも,七・八十頭は集まった。馬市は二日も三日も続き,付近には馬宿と言って,馬喰や仔馬を泊める宿屋もあり,市日には屋台店も並んで大賑いであった。  馬市の前日には,仔馬を櫛けずって毛並をなおしてやったり,赤飯のご馳走もしてやった。当日も,出立前に特別献立のご馳走をやり,紅白の腹帯とおもづなをかけて引き出した。家族一同が嫁入り娘を送り出すように別れを借んだものであった。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で