集団「Emication」別館

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蓮池氏の講演。来客(3) (つくで百話 最終篇)

講演0209。 日中も,気温が氷点下ではないかと感じる寒〜〜い一日でした。  午後,新城法人会公開講演会《オンラインライブセミナー》でした。講師は,拉致被害者蓮池 薫氏で,『夢と絆」〜必死で生き抜いた北朝鮮の24年間〜』の講演をお聞きしました。
○ 帰国して19年,北朝鮮で24年。 ○ 拉致被害者の親が高齢化し,亡くなる方もあり,「もう待てない」「時間はない」 ○ 拉致は,若者達から夢を奪った。家族との絆を断ち切った。○ 現在も北朝鮮に残されている人達は,毎日もどかしい,辛い思いをして43年暮らしている。 ・ 拉致された時,北朝鮮での日々,招待所の暮らし,工作員の教育,スパイ… ・日本と北朝鮮,国交正常化,北朝鮮と韓国,生存者の“シナリオ”,子供の来日(帰国)…
 拉致は“昔の出来事”ですが,「拉致問題は“昔の話”ではなく,現在の話であり,未来を創ること」なのだと思いました。  ありがとうございました。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     来客   峰田好次 (つづき)  門坂道に女達の声がして,背負ってきた薪が次々におろされ,積み上げられる音,道具を収める音,何やら話す声。  やがて与吉の妹のせいが土間に入り,驚いた顔で立っている。母親のはるも入り,続いて祖母のとなが入ってきた。どこの誰もがそうであるように,皆んな布子一枚に絆天・袖無し,四歳の妹のせいまでが素足なのである。  となは藁草履を脱いで座敷にあがり,下座に座って挨拶した。 「ようおいでなされました。今日はいい塩梅でございます。明けましてお目出度うございます。旧年中は,いろいろご厄介に預かりました。また,こないだはのうし,おはるや与吉が出ましてのうし,ご馳走さまでござりました」と,一言一言頭をさげる。  伝兵衛もかしこまり「ハイ」「ヘイ」と受け答えをしていたが,となの言葉の終るのを待って,与十郎との挨拶同様に年頭の祝いごとをのべた。 「お茶を上げておくれたかい」と,与十郎に聞くと,「ああよばれたえ」と,伝兵衛が答える。  はるも祖母の側にすわって, 「お出でなされませ,先達はご馳走さまでござりました」と,挨拶をした。  伝兵衛の家あたりでは,こうした丁寧な挨拶は殆んどしない。大方は家長と主婦の二人くらいの挨拶ですまされる。市場村などは人家も多く,接する人の多いのにもよるが,生活程度にもよる。ぞんざいで,そっけない。  はるは年頭に上った祈,祝詞を述べてあるのでその言葉は省かれる。  全家挙って迎客の礼を尽くそうとの心の現われであるが,父祖伝承の挨拶の仕方でもあって,心の置き方・言葉の適否を現わし,日常言葉と聊か区別され,他の批判のよる所となるのである。 「あそこの嫁は,日頃ペチャクチャよく喋べりやがる癖に,挨拶も碌にできやがらん。」と,外で言われ,「お前,お客に挨拶する時ぐれえ,まあちっとばかし増しにやれんかのう。家風を見習っておくれや」と,母親からしごかれる。 「善坊は来るとは言わなかったかのうし」  伝兵衛の孫は善助である。色黒で細い目の吊りあがった,いかにも悪戯小憎にみえる。でも,与吉に悪戯を仕掛けたことはない。 「あの餓鬼あ,俺のいうことなんか聞きやがらんで,手に負えねえ。俺の出掛けにゃおらなんだぇ。」 「お印をお呉れたぞや。」与十郎の差しだす包みをとなは受取り「そうかえ,ご馳走さまでござりますのうし。与吉,仏さまへあげておいで」と,言いつけた。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇新城法人会