集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

来客(4) (つくで百話 最終篇)

花0210。 “冬の青空”が広がる一日でした。  午後,“気になること”があり,映画『空母いぶき』(Amazon)を休憩を入れながら観ました。  『ビッグコミック』(小学館)に連載されていた作品が映画化されたものです。
 命がけの任務にあたる自衛官。究極の選択を迫られる政府。事態に直面するニュースメディア。日常を生きる国民。…  この国が保ち続けた“平和”を終わらせないために,それぞれの戦いが始まる…。
 命,生きること,判断,リーダー,決断,行動…  ここに“想定外”があっても,それに向かう“知恵”と“行動”が,ここから生まれる。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     来客   峰田好次 (つづき)  土間の土窯に火が焚かれ,釜鍋が掛けられて,客用の料理つくりが始められた。母のそばでうろうろするせいに「そら邪魔,邪魔」と,言う声が聞こえる。 「祖父さま,馬を飼っておくれ。」 「おお」と与十郎は立ちあがる。  後は伝兵衛ととなとの世間話である。 「与治右衛門さとこは,うまくいっとるかえ」 「なんのなんの,おさん婆さまは早ええこと,おっとうに死別れたでのう。女手一つで,この家を護って与十さをしとねての 男勝りの人だったでのう。きつい人だったで,お前の苦労もきつかったわのう。」 「苦労をいやあ際限ねえがのし。今じゃおはるがようして呉れるで,安気に暮しておるわのうし。婆さまの生きとられる時分には,何度も何度もあの話を聞かしてもらってのうし。“話はついたが近所のことだで争事の起こらねえようにせよや”ってのう。いつも気いつけるよういわれてのうし」  天明元年,悴市之允の生れた当時,与治右衛門家との間に地所争があり,遂に訴訟にまで及んだ事件があった。その際,伝兵衛の陰の骨折りで示談解決となった一件である。それが縁で,市之允とはるの縁談ともなり,姻戚関係ともなったのである。  伝兵衛は来る度,必ず持ちだす話題である。 「やっと永い間,気不味かったがのう,此頃じゃあ機嫌の悪い風もみえんしのう。今の嫁がいい嫁だしのうし,俺家のおはるとは年も近いし,仲よくやるでのうし,まあ心配はねえのうし」。 「それは良いのう。ああいうことのあった後だでのうし,まあ今からじゃ二十年も前のこったが,代々後を引くでのう。俺家あたりと違って,何ちゅうたって血の繋りあるこったし,一家みてえなもんだでのう」 「あの頃は,えれえお世話になり申したそうでのうし。」  餅雑煮と云っても黍栗餅なのだが,伝兵衛へは円い刳り膳に黒塗り椀に白木箸・沢庵小皿が供えられ,子供達二人は,客のお相伴で,椀に餅を入れてもらう。正月中とは言っても,三ヶ日をとっくに過ぎた今日のこと。白米は使われない,子供達も麦芋稗の混ぜ飯や雑炊が普通であった。  食後,伝兵衛はこんな話をした。 「此間,俺が方の寺の修繕に来た大工がのう,夕飯の後の茶呑み話にのう。どっかの町で寺の門を建てる時,来た大工に素晴しい名人が居っての──町の名も,寺の名も,俺は左の耳で聞いたで,右の耳から抜けてちまっての──と,冗談を混ぜ, 「その大工が,梁束を四つばかしたてた時のこったが,梁に掘った穴へ束のホズをいれて,玄能でコツコツ叩くのだが,まあちっとというとこで,みなへえらねえ,何故へえらねえかというと穴とホズがあんまりピッタリしているんでのう,そこのホズ穴の中の気がつまって」と,掌で顔の前で払ってみせる 「入らねえんだのう。かけやでどやすようなことはせんで,玄能でコツコツとやさしく叩いて入れるのだが,そんな訳でへいらねえ,どうするかと大勢の大工たちが見とったてことだがの」  伝兵衛は,ここまで話して茶釜の茶を汲んで炉縁に置いた。抑揚もなくゆっくり話すのだが,何か人を面白がらせるところがあって講釈師の醜名がある。欺されるかも,と思いながら,つい聞かせてしまう話術なのである。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇映画『空母いぶき』公式サイト