非常時対応。来客(1) (つくで百話 最終篇)
青空の綺麗な一日でした。しかし,気温が上がらず寒い日でした。
緊急事態宣言の延長で,この時期になって「個別の試験を取りやめ」と入試を変更した大学をニュースが取り上げていました。
◇宣言延長で信州大学が入試変更(NHK)
先月,すでに70大学が変更したと文部科学省が発表していましたが,大学入学共通テストの後では,影響も大きそうです。
◇相次ぐ大学入試の方法変更 頭抱える受験生(産経ニュース)
新型コロナ禍では,「突然の変更」「直前の中止・変更」も“日常”となっているのでしょうか。
今は災害時であり,“非常時への対応”が求められているのです。
あなたは,こうした影響を受けていませんか。対応できていますか。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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来客 峰田好次
この短篇,時 文政十年。与十郎五十七歳の初春に当る。当時の作手郷の庶民の衣食住,言語,風習について,古文献,家具,道具に依拠し構想せる生活記録。明治年代は,尚未だ これらの濃密な残影の中で生活が続けられた。今や,それらの消滅せんとするのを愛しみ,懐しみ,且つ偲びたく思う。「じっさまぁ,市場のじっさまがござったぞえ」 与吉が外から飛びこんで来てそう報らせた。与吉も,もう六歳である。 与十郎は土間で縄綯いの藁をすぐっていた。 「そうか,それじゃァ茶でも沸かそう」 与吉はまた外へ飛び出し,与十郎は藁をそのままにして,薪を持って座敷へ上がり,囲炉裡ヘ火を焚くのであった。埋れ火を揆き起し,杉の枯葉を押込み,薪を置き,火吹き竹で吹きつけた。 与吉が市場の祖父というのは,与吉の母の父親で,与吉には外祖父なのである。正月三日から六日まで,与吉は母親のはると,此の外祖父の家へ年頭のお客をして来た。 外祖父は伝兵衛である。 与十郎の家は十郎ケ谷の一番高い所にある。下隣りの源三郎家の両側から坂道を登らねばならない。坂道の東西二本の大榎は秋毎に枝落しをされるので,今は幹ばかりが白い太陽の前に黒々と立っている。風除けの大樹なのである。また二畳・三畳敷もある蕎菱皮石(花崗岩)の大石が,飛びとびにいくつも露出している間を縫って,細い坂道がつづく,この坂道を登ってくる伝兵衛を与吉は見つけたのである。 伝兵衛は登りきって表庭に立ち,南方一里ばかりの所を東西に連なる雁峯の,今は黄一色に枯れ,獣のように茫々とした厖大な山脈の景観を暫く眺め,やがて戸口に杖をたておいて, 「ござらっせるかえ」と声を掛けて土間内へ入る。 大した荷物でもない白木綿の風呂敷包みを首に引っかけている。 「ここは温といのう」と,独語しながら土間に立って厩を見,馬の顔を見,柱の絵馬・据風呂・火除けのお札・土窯にかかった釜などを眼の仄に確かめ,やおら上り框に尻をかけて首の風呂敷をそばにおろし,草桂を解く。紐付の甲掛足袋を脱ぎ,裸足になって座敷へ上がり莛一枚上座にかしこまった。 与十郎は,横座に安座して火の色を眺めながら,此地方の老人共通の,こうした緩漫な動作が次第に近づくのを待つのである。 茶釜も煮え立って湯気をあげ始めた。 与十郎は答礼にかしこまり,始めて伝兵衛の今日の顔を見た。 伝兵衛は,両手を膝におき 「年も改って先づはお目出度うござんす。旧歳中はいかいお世話になり申したのう。今年もまたお頼み申しますだ。年頭には早ばや,はるや与吉を寄越いとくれて,結構なものを色々と忝うござんした。今日は仕事の手を止めてお邪魔でござんす。」 膝の手を莛にすべらせ,茶筅に結った頭を軽くさげた。 「ご丁寧にござんす。いわっしやる通り,歳も改ってお目出度うござんす。旧年中はこっちこそいかいお世話になり申した。今年もまた宜敷うお願のう申します。先達は嫁や孫がお世話になり忝けのうござんした。今日はまた寒ぶい中を,ようわせられました。」と,与十郎も手を莛にのベて答礼した。 (つづく) ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で