数遊び。鳥居強右衛門餘話(4) (つくで百話 最終篇)
雨予報でしたが,朝から青空の良い天候でした。
古い算数の本『算数をパズルふうに』(古屋茂・著/1988刊)に,次の問題があります。
電車の切符の番号,自動車のナンバー,電話番号など4けたの数をよくみかけます。これを材料にした遊びを紹介しましょう。 0から9までの数字が4個あります。これらの数に加減乗除の演算を行い,また括弧をいれてもよいことにして,10を作ることを考えるのです。たとえば,1,2,6,8に対しては,6÷2+8−1,(8÷2+6)×1,1×2×8−6,…などのようにすると結果が10になります。 ただし,(略) 次の各場合について,上記の方法で10を作りましょう。答えは一通りでよろしい。 【1】 0 2 3 4 【2】 1 7 8 9 …問題に15組の数が示してありました。特に,意味をもって選ばれてはなさそうです。 今年は2021年,「2,0,2,1」ではどうでしょう。この順で10ができました。 幾つの計算ができるかな… 10の他にもできるかな。1,2,3… 数と計算で遊びました。 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ******** 鳥居強右衛門餘話 (つづき) 勝商の墳墓が甘泉寺にあることを発表されたのは,新城市杉山出身の今泉忠義国学院大学教授であったと思います。大正年代に今泉教授が発見されるまで,私は甘泉寺に勝商の墓があることを知りませんでした。 その頃は,今の場所よりも一段低い,高野槙の下にありました。その辺に矢場を築くのに邪魔になるからというわけで,鴨ヶ谷の荻野徳次郎さんたちが現在の位置に移したと聞いています。その時,墓の中から毛髪が出たので,今の墓に埋めたとも聞いています。頭蓋骨が出たかどうかは聞いておりません。 長篠城趾史跡保存館長 丸山彭氏は,以前作手農林学校に勤務されたことがありますが,その頃から勝商夫人寿姿妙全信女の墓も,甘泉寺境内にあるものと思われ調ベておられたそうですが,昭和四十八年秋の調査で発見されました。この墓は,元の勝商の墓から五メートルくらい西側にあるそうです。勝商夫人は晩年,新城市杉山に居住しておられましたが,死後勝商と共に甘泉寺に葬られたものと思います。 現在甘泉寺にある勝商の墓は,移転の時に墓石の一部をとり違えたものらしく,正常の宝筐印塔の形態を整えていないと聞いています。 豊川市市田の松栄寺境内墓地に,鳥居家累代の墓があります。 その中に, 智海常道居士 寿姿妙全信女 とあるのが勝商夫妻ですが,ここには毛髪でも納められているのでありましょう。 市田の東北,赤塚山に烈士鳥居勝商碑が建っています。この記念碑は,勝商敬慕の有志の寄付で大正三年十月十八日建設されたものであります。碑の撰文は,陸軍史編纂官をしていた横井忠直氏の手になる漢文で,中々の名文であります。揮毫者は,書道の大家大島君川先生であります。碑の題字は,伯爵奥平昌恭氏で見事な出来栄えであります。 (つづく) ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で