集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

緊急事態宣言。小林の阿弥陀如来(2) (つくで百話 最終篇)

花0113。 天気のよい日になり,日中は寒さが緩み,暖かさを感じました。  今夜,「緊急事態宣言」の対象地域に,愛知,岐阜の東海2県,大阪などの関西3府県,福岡県と栃木県の合わせて7府県が追加されます。  新型コロナウィルス感染拡大の“緊急事態”に,さまざまな“要請”が出されています。  「自分にできる感染予防は,しっかりしている!」と言われる方がほとんどだと思いますが,拡大する状況が続いています。  この状況が,縮小感染者の減少に変わっていくよう,行動と感染対策の見直しをしたいと思います。  あなたも,あなたの周りの人も…。
対象0113。対応0113。
 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     小林の阿弥陀如来 (つづき)  そこで経験はなくても,あの仏像を心に浮べながらやるならば,できないこともあるまい。真心と日時を重ねることで,出来そうに思われました。先づ仏像の本体とする御衣木(みそき)の撰定からとりかかりました。幸いこの土地で成育した樟が手に入りましたので,仏像と台座には樟を用いることとし,光背は杉ときめました。杉も樟も古来仏像に使われた木です。乾燥接合の都合もあって暫く準備に日時を要しました。私は仏像に対する智識が皆無だったので,出版物や写真で調べたり,或は寺院の住職さんの教えも乞いました。また,いくつかの寺院のご本尊の拝観もしました。御衣木準備期間の勉強と申すわけでした。  それによって,飛鳥・天平の頃から時代の変遷に伴っての様式の変化は有っても,仏師たちが守りつづけた一筋の変らない形式のあることなどについて,概略の知識を得ることができました。  設計図は一切つくらず,じかに刀をとりました。私には自信があるわけではありませんので,村内の皆様に対しても,私がやりますなどとは公言しませんでした。自宅の奥の間を仏所と定めて,ひそかに刀をとり月日を重ねました。もともと旧仏像に拠ることですから,安易な一面もあったわけです。  昭和四十四年三月から御衣木の準備,十月から彫り始めて満四ヶ年,まわりの飾りを加えまして五百二十時間ばかりかけました。こうして刀をおいてみますと,手がけた日々の記録こそ明らかでも,私の心の中には過去は残りなく消えて,成就できたことを不思議にさえ思えるのです。    尊像の心で成就  仏像を堂舎へ搬入しますと,村内の皆さんは早速仏具を買い整え,開光安座の式典をあげて下さったことに深く満足しております。仏像の光背の裏面に由来書を書きしるしました。   奉安座呵弥陀如来   惟時 昭和三十四年四月十六日 堂舎焼失 阿弥陀仏 地蔵子安菩薩 弘法大師之諸像 悉皆鳥有 無残処 爾後奔々変化矣 村中相図 堂宇再建 竣工同四十四年春三月 旧態旧規模 同年七月撰材 擬旧尊像 精進刻四歳 以畢顕現 阿弥陀如来一軀 並因八菩薩  奉願  安 有縁無縁諸霊菩提 子々孫々 村中栄興之事  以上の次第で,起工から開光安座まで成就することができ,祖先諸霊の心に応え得てお許し頂けるかと聊か安堵の気持ですが,今更に思われますことは旧尊像への限りない愛借愛着であります」と。   今も参詣者が  八重山の奥のこの渓谷には,下界の混沌に染らずに古来の風習を大切にして,義理固く人情厚い人々が今日も清浄な生活をつづけている。  心ある人は歩を向け,車首を転じてこのささやかな堂に座し,新しい阿弥陀仏の姿に接して暫く心を浄める機会を待たれるならばと望まれる。すでにニヶ年有余に及ぶが、,数ながら常時参詣者が跡をたたない。   (峯田通俊) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で
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