集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

小林の阿弥陀如来(1) (つくで百話 最終篇)

雪の日0112。 今日も寒い日で,ずっと雪が降り続けました。大雪ではありませんが,風がなく“落ちる”ように降り,「ぽとぽと」という音が聞こえてきそうでした。  今夜も冷え込むようです。暖かくして過ごしましょう。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     小林の阿弥陀如来   阿弥陀堂焼失  作手村大字高松字小林部落の阿弥陀堂に,同地在住の素人彫刻家峰田好次氏の労作になる阿弥陀如来の尊像が彫まれ,この程開眼供養の式典が厳修された。  小林部落は,作手村南部の渓谷中に点在する戸数十戸ばかりの小部落。地形上,上小林と下小林に分れ,その間一キロばかりの羊腸たる上り坂道でつながれている。明治以前から,その中間に開基不明の無住の小庵があり,住民はこの小庵を仏事や会合の場として使っていた。明治の初期の頃,排仏毀釈の風潮もあり,共同墓地指示もあって,住民会議の上で,建物のうち本堂など目ぼしいものを上小林へ移築し,跡地を共同墓地とした。移築された建物は十坪ばかりの小堂で,南に面し,室内北側にかけだされた仏壇に,寺院当時祭祀されていた阿弥陀如来,地蔵・子安の両菩薩と弘法大師が,それぞれ厨子入りでそのまま移されていた。  この地は上小林の十郎ヶ谷と通称された所で,東・西・北の三方を山に囲まれ,南方遥かに雁峯連山の北面を望み山紫水明の秘境である。こうして,此地護持の仏として,また堂舎は再び会合の場とも,子供の遊び場ともなり,村民に親しまれ歳月を経たのであったが,昭和三十四年四月,思いがけない火災に遭遇し,堂舎・仏像とも一切鳥有に帰し,村民を嘆かせた。  その後,村民はしばしば再建について話し合ったが,機到らず跡地は雑草の生い茂るままに放置された。昭和四十四年一月,漸く再建の機熟して同年三月,旧堂舎に倣って旧位置に新堂舎を落成させたのであった。昭和四十八年七月三十日,峰田好次氏の彫刻になる阿弥陀像が安置され,開光安座の祭りが執り行われ,この小山村の人びとの心に歓びと安堵が再来したのである。仏像彫刻に精進された氏は次のように,その感慨を語られた。   素人が一念発起  「思いがけない失火のため一切を焼失させてしまって残念です。その時,せめて阿弥陀如来だけでもと思って馳けつけたのですが,火の海で仏壇は焼け落ち,最早仏像の姿はみられませんでした。長い歳月村民が信仰し,敬慕してきた仏像を焼いてしまったのです。考えれば考える程申し訳ないことに思われ,再建してお詫びしなければの一念でした。さて堂舎ができてみますと仏像の問題となりますが,私には購入して安置するという気にはなれなかったのです。若しあの黒い阿弥陀像があったなら,新装のこの祭壇に据えられたならどんなに満足だろうと,旧阿弥陀像にひかれてなりませんでした。私は仏像など一度も手がけたことはありません。でも,あの仏像は今もハッキリ思いうかべることができます。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で