新年会。庚申待縁起(1) (つくで百話 最終篇)
気温の低い朝でした。北向きの窓ガラスが“氷の模様”で美しく彩られていました。
思いがけず,日中は青空で日差しがあり,暖かさを感じられました。
午後,ジョークサロンの新年会がオンラインで開かれ,参加しました。
“快鳥 挨拶”で開会し,「丑年祝賀都都逸」の披露や演芸,参加者の一言と,ユーモアとジョークで笑いがあふれました。
後半,「カウントダウン」と「フラッシュカード」の懇親ゲームがありました。どちらも“他の人と重ならない”ことで得点ですが,結果報告に,皆が悔しんだり,選択に感心したり,たいへん盛り上がりました。
“元気な皆さん”と楽しい時間を過ごしました,ありがとうございました。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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庚申待縁起
東三河の庶民の間に,広く侵透している庚申日待についての旧い写本が私の手許にある。それには「寛文年中丙午霜月上旬播州住人道義書,寛文三年癸亥七月中旬三陽八名郡草加部村庚申当仲間江」という裏書がしてある。これが一宮村の近田綱吉という人の手を経て,作手郷小林村の私の家に伝わっている。
庚申待縁起
それ大宝元年丑の正月七日は,かのえさるの日なり,(注・原文は大法元年とあれども大宝の誤りか。大宝元年は西紀七〇一年,昭和五十年より一二七四年前)この日天王寺のみんぶの僧都らうせん(良遷か)と申す法師の所へ,年の齢十七ばかりの童子来り宣うよう「我は是,大梵天帝釈よりの御使いなり」さても日本国中に多仏霊社おおしといえども,殊に攝津国天王寺は仏法さい初の寺なり。ここに民部の僧都という人あり。この僧に逢い奉って中すベきは,庚申待という事を一切衆生に申伝えて,あまねく弘め給へよとよくよく申せとのちょくに依って我は只今来るなり。能く衆生に伝え給え。それ庚申というは一年に六度あり。それを待と申すは過去・現在・未来三世の苦を滅す。先ず申(さる)の日は,心を清浄にして申の時より南に棚を拵らえ待つべしと帝釈の勅なり。今宵かのえを待つものは,悉く梵天へ聞える。帝釈これを御存じありて,又童子を下されて庚申待の人の名を悉く記して,高さ三十丈の塔を建て,その中にこめ給うなり。この塔は三世を守る塔なり。庚申を待つ人は必ず過去の罪を滅し,現在は息災にして,後世は大安楽を得て,その後,かの塔に住する事なり。
されば国皇(国王か)・大名・貴賤以下皆々過去の悪事に依って,八苦となりて悪道に落ちる。然れ共一年に六度の庚申を直ちに実行して拝みぬれば,六地獄の苦をのがる。一番には死出の苦をのがる。二番には三途の川の苦をのがる。三番には餓鬼道の苦をのがる。四番には畜生道の苦をのがる。五番には修羅の苦をのがる。六番には無間地獄の苦をのがる事疑いなし。
先ずかのえさるの日には,衣装を改め,心を清浄にして少しも腹を立つことなく,祈ることばかりを一念に思うべし。
(注)庚申日待の日には,百姓は不浄物を扱わなかった。各家には庚申袴というものがあってこれを着用した。
国皇・将軍は,天下泰平に治めん事を願い,大名・長者は民・非人を隣れみ,大慈悲心を起さん事を願い,うえたる者には食物を与え借しむ事勿れ。一切衆生,皆貪慾ばかりにて,一生空しく月日を送るならば悉く悪道に沈む。されば,梵天帝釈は一切衆生を哀れに思召されて天笠大庶へ,かのえ申待を弘め給う。日本へも普く,僧都に弘め給へとて,我等を使いに下され給うなり。
庚申の日は,香を焚き,花をたて,灯明をともし,御供を備え,暁には赤きめし,いろいろの菓子を供養して,その夜は何心なく信心堅固なるべし。また妻愛の心夢々あるべからず。自然その夜懐姙すれば,その子三病をうけるか若くは盗人となる。一切経の中にも,信心深く,かのえ申を待つ人は,一切眷族無病にして長命なり。青面童子を祈るべしと。
(つづく)
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