割り箸。作手の湿原(1) (つくで百話 最終篇)
よい天候が続いています。千葉県南部では水不足が深刻になっているようです。
晴れて活動するのに都合はよいですが,良いことばかりではありません。当地は…。
昨日,嫌い箸を話題にし,そのつながりで割り箸の話です。
最近は話題になりませんが,みなさんは“マイ箸”を持って外食に出かけますか。割り箸が“悪者”とされ,登場したのがマイ箸だったと思います。自分は持ち歩かなくなってしまいましたが,定着しているでしょうか。
以前,小倉朋子氏(フードプロデューサー)がコラムで,「割り箸はエコから発生した」と述べていました。そして,「元禄」「小判」「天削」「利休」の割り箸が紹介されていました。
廃棄される酒樽から,さまざまな割り箸を生み出しています。これぞ,日本の文化です。
時代の求めは様々ですが,“日本の文化”を大切にして,行動・対応を考えていきたいと思いますが,いかがでしょう。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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作手の湿原 権田昭一郎
作手村には大小三〇にあまる湿原があった。むしろ,人手による農業開発がなされる以前は,作手村の,殊に釜蓋峠以北の中・北部高原の平地は全てが湿原であったといえそうである。一般的にも,わが国の米つくりは湿原の水田化から始められ,そのため,湿原は古くから生活の中で高い関心がもたれたようである。
その呼び名も,山間の小湿原は天与の,つまり,神の恵みによる水田として「神田」といい,それよりやや広く,集落形成の可能な程度のものを田代と呼び,また,平坦部の更に広いものは「くて」と呼ばれ,現在それが地名となっている所が全国至る所にある。「神田」は「ジンデン」「ジンデ」「カンダ」「カミダ」「ウエダ」「カダ」などの地名となり「田代」は,その位置や広さから「大田代」「小田代」「和田代」「大和田代」「上田代」「下田代」など様々であり,また,「くて」も,その形や様子から「大久手」「長久手」「柳畔」「葭湫」などが目につくが,その多くは,
(1) そのままでは生産性がない。
(2) 平坦で,開拓や埋めたてが比較的容易である。
(3) 地価が割り安である。
などの理由で,ある所は都市に,ある所は農耕地に変貌し,その面影すらとどめないようになっている。
愛知県全域の調査結果では「神田」という地名が一五四,「田代」が一〇,「くて」が五〇,その他「ハンノキ田」「葭生」などが八六となっている。その中「神田」は額田・東加茂・西加茂などに多く,また「くて」は碧海・愛知などに多くみられる。
(つづく)
《写真》昭和48年愛知県天然記念物の指定を受けた「作手湿源」…湿原発達の段階からこの湿原は「中間湿原」と呼ばれ,全国的にも貴重な存在である。
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