集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

読書週間。寺子屋と明治初年の教育(4) (つくで百話 最終篇)

寿司1028。 秋晴れが続いており,気持ちの良い一日でした。  昨日(10/27)が「読書の日」で。27日から11月9日まで「第74回読書週間」です。標語を
ラストページまで駆け抜けて
として,新型コロナ禍での企画・催しが,いろいろとあるようです。
 宝島の海賊たちが盗んだ財宝よりも,本には多くの宝が眠っている。  そして何よりも,宝を毎日味わうことが出来るのだ。       ウォルト・ディズニーアメリカ)  面白い本を読まなければならない。  つまらない本をねじり鉢巻きして読むから読書が面白くなくなる。  面白くなるためには,自分が不思議だなと思うことをたくさん貯めることだ。        丸谷才一(日本)
 どのような本を読んでいますか。 【関連:読書】   ◇カテゴリ「読書」(集団「Emication」)   タグ「読書」(集団「Emication」)  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     明治前期の学校教育  (2) 学制の発布と小学校の開設  「学制」は,明治五年八月三日,文部省布達第十三号として頒布された。この時期には「学制」の方針にかかわらず郷学校が設けられたが,実際に「学制」による学校設立が行われたのは,六年半ばからである。  「学制」と共に示されたのが「被仰出書」である。「太政官布告」「学制序文」ともいわれ,新教育体制の理想をうたいあげている。「自今以後一般の人民必ず邑に不学の戸なく,家に不学の人なからしめる事を期す,人の父兄たるもの宜しくこの意を体認し,その愛育の情を厚くして其の子弟をして必ず学に従事せしめざる可らざるものなり。高上の学になりては,その材能に任すと雖も,幼童の子弟は男女の別なく小学に従事せしめざるものは,その父兄の越度たるべき事」というあたりは,よく引用される部分である。  学制が施行されるにともなって,明治六年に開設された学校は次のようである。 第十一番 川手(観音堂)  第十二番 野郷(常昌院)  第十三番 長者平(正眼寺)  第十四番 菅沼(楽法寺)  校名は「第九番中学区内第十一番小学川手学校」というように呼んでいた。  その頃の小学校は下等八級,上等八級に分れていた。作手地方に開設されたのは下等小学校で,各級の期間は六ヶ月,児童は試験に合格すると,次の上級へ進学した。順調に進級すると、四ヶ年で小学枚の全課程を修了することができたが,成績優秀のものは,二級も三級も一年の中に進級することがあった。なお,その頃は試験に合格して進級することを卒業といった。  七年一月の愛知県小学規則では,入学年令は六才より十二才を限度としているが,当分のうちは十三才以上の者の入学も差支えなしと認めている。  授業は一週六日,一日五時間と定められ,教課程も八級から一級まで詳細にきめられていた。例えば八級(現在の小学一年)の課程では,  単語読方(コトバノヨミカタ) 一週六字,即ち一日一字  洋算術(ヨウザン) 一週六字,一日一字  修身口授(ギヨウギサホウ) 一週二字,即ち二日置きに一字  単語誦(コトバノソラヨミ) 一週四字 と,つづいている。  教師は,士族が多かったから読み書きは得意であったが,洋算術は苦手であった。殊に後年音楽や体操などの科目が加わると,とまどいするものが多かった。  愛知県が教員養成機関として,名古屋と岡崎に養成所を設けたのは六年十二月であった。四ヶ月で新教授法の伝習を受けた卒業生は,各地の小学校教育の先頭にたって活躍した。この養成所は,その後豊橋にも設けられた。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で