集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

寺子屋と明治初年の教育(2) (つくで百話 最終篇)

実1025。 天気の良い休日,行楽地や商業施設が賑わっていました。  午前中,地区の神社の掃除と注連縄づくりでした。来週の大祭に向けた準備ですが,新型コロナ禍で縮小して行われます。いつものように美しい境内になりました。ありがとうございました。  先日,教育関係の方々と「デジタル教科書…」「GIGAスクール構想…」「GIGAスクール構想による一人1台端末(PC,タブレット)…」「学習者用デジタル教科書の導入(2024年)…」などの情報交換をしました。  一人1台端末整備,学習者用デジタル教科書導入などのニュースに,保護者は「良いこと」「もっと早く」と思われ,その声も大きいと思います。  好ましいことですが,その“継続”に関係者(担当者)は不安があり,すぐに導入を決められずにいることもあるようです。  それは…。  保護者への説明は,しっかりされている(される)のでしょうか。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     寺子屋と明治初年の教育 師匠と筆子  入学年令はたいてい七・八歳であるが,これよりおくれることは珍らしくなかった。子供は父兄に伴われ,机・文庫のほか,半紙・赤飯・餅などと「束修」(入学科)を師匠の家に持参し,寺入り(入学)した。  平素の謝礼(授業料)も別に定めはなく,一年に盆暮の二度,束修と同程度,金銭だと二朱か一分を包んだ。何れにしても,寺子屋をするほどの人物は村の親方衆であり,地方のご隠居の社会奉仕事業であったから,謝礼など問題でなく,その額は全く父兄の常識にまかせられていた。  寺子屋の授業は朝の八時に始まり,午後の四時頃までに及ぶが,その間,手習い一本で終始するのだから,その単調さはいうまでもなく,時として喧嘩や口論が起きるのは当然であった。「ヘヘののもへじ」が悪戯書きの始めで,こればかりを絵のように書いて遊ぶ子供もあれば,お互のつつき合いが取組みにまで発展することもあり,学ぶというより遊ぶ方が多かった。  来客があれば,授業はたちまち中止となり,寺子には自習を命じて師匠はその応待にあたる。  呑気な人は,寺子を忘れて酒を呑みだせば,寺子は寺子で,筆を揮って相手の顔に墨塗り合戦,あまりの騒々しさに師匠がとんできて雷を落す。処罰はお寺だけに線香に火をつけて,それが燃えつきるまで立たされる。辨当を取りあげられる「食止」,「居残」で本堂や庭の掃除をさせられる体罰が多かった。授業は農繁期は休み,師匠に差支えができれば臨時休業となった。
寺子屋1025。
********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で