寺子屋と明治初年の教育(3) (つくで百話 最終篇)
秋晴れで新しい週が始まりました。しばらく,この天候が続くようです。秋を楽しみたいと思います。
新政権が旗を振っていることで“ハンコ不要論”が盛り上がっています。
話題になっている「このハンコはいるの?」という事案に納得することはありますが,新政権の“提案”はよいのでしょうか。
新政権の掲げる“携帯電話料金引き下げ”も,料金が安くなるのは歓迎ですが,“政権の旗振り”は大丈夫でしょうか。
ところで,ハンコですが,「印章・印影・印鑑」の言葉を使い分けていますか。
改めて確認すると,ハンコも印鑑も,同じように思っていたことに気づきました。
【備忘録】 ○印章 … ハンコ本体のこと。 ○印影 … 朱肉をつけた印章を紙に押し,紙に残った朱い文字を指す。 ○印鑑 … 印影の中で,銀行印や実印として登録されたもの。 ◇印章や印影、印鑑の違いとは?(シヤチハタ)『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ******** 明治前期の学校教育 (1) 廃藩置県後の村々 版籍奉還から明治四年七月の廃藩置県までは,わずか二年の歳月であるが,その間は政府直轄地の県と,旧来の藩がならび存していて,とりわけ三河各村は複雑であったという。新城地方では三河県の誕生と,それの伊那県への吸収,豊橋藩・半原藩の存続などがそれである。廃藩置県によって三河十藩はそれぞれ県となり,四年十一月二十七日,三河諸県は統合して額田県となった。なお,尾張部は名古屋県と称した。 この時点に於ける作手郷の諸村は二四村で,江戸時代末期とだいたい同じで,現在の大字単位くらいの村々であった。これは五年十一月の愛知県成立後もしばらく変らないので,各小学校の創立・学区・統合などの沿革をたずねる上に必要な資料である。 四年七月の廃藩置県後に,額田県より各地に郷学校の設置が勧められたが,これは,寺子屋と後の小学校ができるまでの,過渡的な庶民対象の教育機関であったが,作手地方には設立されなかった。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【情報】 先日(10/24)の『題名のない音楽会』は,大編成の演奏ができない吹奏楽部の皆さんに新しい合奏を提案するものでした。 ◇7人制吹奏楽の誕生!ブリーズバンドの音楽会(2020.10.24 テレビ朝日) 番組で演奏された「紅蓮華」「宝島」「チャールダーシュ」の楽譜が無料公開されました。 →「ブリーズバンド」の楽譜はここから