集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

寺子屋と明治初年の教育(1) (つくで百話 最終篇)

花1024。 曇り空の朝でしたが,次第に晴れてきました。でも,“木枯らし”のような冷たい風の吹く寒い一日でした。  出かけた街で,「ハロウィンhalloween/ハロウィーン」を冠したイベントが開かれており,コスプレした若者の姿がありました。  いろいろなコスプレがありましたが,炭治郎のハッピが目立っていました。コスプレ姿でマスクの付け方を迷っているように感じました。  また,会場に多くの人がいましたが,出店や屋台に賑わいが感じられませんでした。新型コロナウイルス感染は避けたいが,“イベントの賑わい”を楽しみたいという方が多いからでしょうか。  あなたは,今年のハロウィンに,何かしますか。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     寺子屋と明治初年の教育 寺子屋  寺子屋室町時代に地方大身の武士が,その子弟を寺院に託し,教育を受けさせたのに始まるが,江戸時代には庶民の教育機関として,寺院の外でも行われるようになり,江戸中期には京都・大阪などの大都市,江戸後期には地方小都市,幕末から明治維新にかけては全国津々浦々に普及した。  手習いを主としたので,教師を「手習い師匠」生徒を「寺子」または「筆子」といった。教員資格は別に規定がなく,僧侶・神官・浪人・医師・百姓と職業の如何を問わず,土地相応に学識があり,書をよくすればよく,その開業も閉鎖もまた自由であった。  教科内容は,庶民の日常生活に必要な「読み」「書き」「そろばん」が基本である。一ロに読み書きといっても,習字が主で読書は従「そろばん」に至っては,教えない所が多かった。寺子は師匠のもとへ半紙を持参すると,師匠は一枚ずつ手本を書いて渡す。寺子はこれを見ながら草紙に臨書するわけで,十分習ったところで清書して出して批評を受けた。手本は順次綴り合わせて一冊の本とし,時を定めて読誦したわけで,課程は,まず「いろは」に始まり,ついで村・郡内の村名を近くから遠きに及ぼした「国尽」。姓氏関係の文字を集めた「名頭」へと進む。これでたっぶりと二・三年はかかる。以上で初歩が終ると「用文章」「証文」「実語教」「童子教」へと進むのだが,ここまで進む人は稀であった。したがって「四書・五経」まで習った人は,よほどの秀才に限られる。現存する手本をみると,以上の外に種々のものがあったことがわかる。  読書の仕方は「素読」といって,ただ音読するだけで講義はなく,一人ずつ師匠の前に出て,一字一字を辿りつつ読み方を習った。したがって,意昧はわからなくても文字を空んじ,文字はわからずとも,言葉のみを覚えるという有様であった。「そろばん」は普通寺子屋では教えず,寺子屋の課程が終ってから,近所の比較的達者な人に教えを乞うた。教科書はなく,加減からハッサン(掛け算)ケンイチ(割算)に及んだようである。当時の「そろばん」は,大型で蓋がついており,一玉が五個,五玉が二個あった。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で