集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

大昔の人のくらし(2)-1 (つくで百話 最終篇)

印1005。 新しい週の始まりは,小雨の降る天候でした。午後になって空に明るさが増し,日差しのある日になりました。  肌寒い一日でした。  先日訪問した施設のエレベーターは,ソーシャルディスタンスを保つように,床に立つ位置を,箱の定員の半数以下の5つの印で示していました。  ところが,外側4つの印は,そこに立つと壁にくっついてしまいます。立っているのが苦しい感じでした。  「間隔を○○m離して…」との指導があったのでしょう。しかし…。  業者のみなさん,施設を管理する方々の腐心,苦心をお察しします。ありがとうございます。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民俗と伝承」の項からです。 ********     大昔の人のくらし   沢田久夫   (2) 縄文文化初のくらし  捕った獣や鳥の毛をむしり,肉を焙って喰っていた彼等──獲物がある中は喰いつづけ,なくなれば骨をかじり,眠り,そしてまた獲物をさがす。そうした彼等には,まだ食物を蓄えておくという衝動はなかったらしい。氷雪の下に獣肉をおくとか,又は乾物にするというような,簡単な貯蔵はあったかも知れないが,容器は必ずしも必要でなかった。容器としての土器の発生が考えられるただ一つの理由は,煮沸だけである。永い氷河時代から解放され,少くとも前よりは温暖な時代が始まろうとしていた頃,寒系の針葉樹木の黒い林は次第に高山にのぼり,代って裾野は潤葉樹の叢林,クリ・クヌギ・ナラ・クルミなどが段々広がっていった。焙って喰うより,煮て喰う方がいい食品が増加してくると,籠に泥を塗って焼くと土器ができることを,何かのはずみで知ったに違いない。  洪積世の終りから沖積世の初めにかけては,実に雨が多かった。氷河の氷が溶け,ぶちまけるような降雨で河川は汎濫し,海の水面が急に高まって,かっての陸の橋は海中に没し,日本は完全な島国となった時期である。人々は滝のような雨水を見あげながら洞穴にかくれ,迫り来る何回かの寒気を避けた。そうした洞窟のいくつかが調査された結果,日本最古──土器発生期の細隆線文をもつ土器といっしょに,ポイント(尖頭器)が出ることが分った。ラヂオカーボン(放射性炭素)の測定によると,一万二千年前である。  ポイントは,槍先のほか銛にも使われたが,これは勿論海岸の人が元祖である。鎗にしても銛にしても穂先はとかく折れ易い。そこで穂先を全部とり換える代りに,折損した部分だけ補修すればよい方法が考えられた。小石刃を,骨や木の柄に列べて植込む複合石器としての銛を作り出したのは,中部地方太平洋側の河川へ,盛んにサケやマスが遡上し出したからだ。  手槍や投槍はいかに鋭くなっても,しょせん腕の振幅だけの力による外ない上に,殆んど半身は,敵の危険にさらさねばならなかった。何とかして敵に姿を見せず,より遠くから,より鋭く,敵に致命傷を与えることはできないだろうか。そうした生存への切なる願いが,何かの機会に生木の枝に弦をかけ,跳ね返る力を考えたと思う。始めは,槍や銛を飛ばしたと思うが,それらは重くて遠くへ飛ばない。唯一の障害はその重さだ。そこで矢柄を細く,真直に飛ぶように磨く技術や,鎗先から三角銛への改良が行われて,画期的な飛道具の出現となって,世は完全に新石器時代となった。氷の原はツンドラに代り,やがてそこは灌叢林となり,現在棲んでいる動物はみんな出揃った。世界が生き返ったのだ。  縄文草創期から早期ヘ──こうした新しい環境に順応して,人々はイノシシやシカを追って西東に移動した。移動と云うより,放浪と云った方がしっくりするかも知れない。日々の食糧は,行く先々でとればよい。木々の実はたけが低いので何の道具もいらず,食える草や実・球根はいくらでもあった。傷ついて倒れている獣もあったろうし,よちよち歩きの幼獣も居たろう。食物は,歩きさえすれば至る所に転がっていた。不運に,一日や二日何一つ見当らなくても,この拾い屋は平気だった。一度獲物に当れば,幾日もたらふく食いづめに食って,そして次の空腹まで眠れるのである。こうした旅の途中で出会った二人の男女は,結ばれて共同生活をつづけ,女は尖底の土器を頭にかけ,男は弓矢と刃だけ磨いた闘斧(局部磨製の大形石斧)を持って,今日も西から東へ,また或る組は東から西へ歩いて行った。夜の泊りは,先客が残して行った焼石炉ヘ新しい火を起し,尖底土器の中の獲物を煮たり焼いたりした。穀のある木の実は,何代となく使い古してすり減り,穴のあきそうな石皿と磨り石で擦りつぶした。リュックサックのように持ち歩く尖底土器は,薄手ながらわりと硬く焼かれていたが,物が物だけに,よく壊れて捨てられた。次から次へと違った宿泊人の土器片が重なってゆくように,人の生命も限りなく愛されて生れ,そして死んで捨てられた。これらの人は,歩くことが食うことであった。縄文草創期から早期ヘかけての日本人の姿であった。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で台風情報】  ◇台風14号(チャンホン・CHAN-HOM)
台風1005。
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