昔話「お犬さま/お鍬社」 (続 つくで百話)
“雨模様”の予報でしたが,晴れ間の多い日でした。
日差しから“元気”を得たように感じました。
ふと見たテレビで市議会中継が放送されていました。
「共同調理場が…。」「食育では…。」「○○年の答弁で…。」…
「○○に予定し…。」「これから検討会を立ち上げて…。」…
かみ合っているような,ないような…。
保護者のみなさんは,ご存知のことかと思います。
子供達の学校生活,学びが充実していくように,関係の方々の“真摯な検討”をお願いします。
『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「昔話」の項からです。
村制施行八十周年を記念して発刊された『つくでの昔ばなし』に,同名でお話が掲載されています。
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昔話「お犬さま」 相月 荻野磯衛
野郷と川合と相月の三つの部落の境になっている曲り峠という小高い丘陵地帯があります。この曲り峠の道ばたに,お犬さまをまつる石室があります。昔は,モチイ正月に,三部落の代表者が,遠州の秋葉神社,山住社,春野山の三社におまいりして,お札をむかえてきて,このお犬さまの境内で,盛大にお祭りをしたものでした。このお祭りのときに,お迎えしてきたお札を各戸に配り,これをいただいた家々では,家の戸間口に,そのお札を貼っておまつりしたものでした。このお犬さままつりは,明治の末頃までは几帳面に実行されておりました。
お犬さまは,山犬の神様でした。長く患っていた病人に,狐や狸がつくと,お犬さまを迎えてくると,けだものが退散して,病人がケロリとよくなったといわれておりました。市場と相月の間にあった大野原には,狐が沢山棲んでいたものでしたが,これらの狐どもに対しては,お犬さまは,大きな脅威であったに違いありません。
この頃は,お犬さままつりもすたれて,草ぼうぼうの中に石室だけが寂しく残っております。
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【「つくでの昔ばなし」(昭和61年11月発行)掲載】
◇『お犬様』
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昔話「お鍬社」 相月 荻野磯衛
相月の白鳥神社の東の山を,お鍬山といっております。お宮の東にあるダラダラ坂を,少し登ると,白鳥神社の末社であったお鍬社の跡があります。昔は,赤塗りの建物の,小さいお宮がありました。
お鍬社のお祭りには,榊の枝に,稲の穂と白米の紙包みを結びつけてつくったお鍬穂というものを沢山作って,神前に供えて,五穀豊饒の祈願をしてから,これを,弓木,小林,赤羽根,手洗所,野郷,川合,須山,北畑,寺林,相月の氏子に,一本ずつ配りました。氏子たちは,苗代田の水口に,これをたてて,田の神さまをおまつりしたものでした。
現在は,お鍬社も,白鳥神社の境内へうつされて,別宮としておまつりしてあります。お鍬穂も,白鳥三部落と北畑,須山だけへ,おわけすることにしております。
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注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で