集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

作手の弓道(4)(続 つくで百話)

花0321。 青空が綺麗で,風もない暖かい日でした。  用事で出かけると,多くのライダーに出会いました。気持ちよさそうに走っていました。  また,商店やモールなども,いつもより少なそうですが,家族連れなどで賑わっていました。  新型コロナウイルス感染拡大の防ぎながら,経済活動の勢いが盛り返していくことを期待しています。  『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「作手の弓道」の項からです。 ********     作手の弓道  作手弓道界の巨星     鈴木隼人  相月で生まれた鈴木隼人は,大正十五年一月三十才の春,峯田利英の門人となって弓道を始めました。終戦後,事業の関係から,生活の本拠を新城市に移しました。そして,昭和三十三年に全日本弓道連盟に入会して,本格的に練習することになりました。同三十八年には八楽弓道連盟会長に推されております。その頃から技倆もメキメキ向上いたしました。同三十九年初段, 四十二年二段,四十三年三段,同年七月には四段に昇進し,四十六年練士となり今日に至りました。 鈴木隼人0321。 昭和三十九年,自宅敷地内に矢場を設けて,平素熱心々練習をつづけておりますが,その後同志に呼びかけて,資金百余万円を募って,新城中学校構内に,完備せる弓道々場を新設して後進の指導に鋭意努力しております。現八楽弓道連盟顧問。 ◇神谷孝正  神谷孝正の弓歴はかなり古いものです。昭和八年四月,愛知県立豊橋第二中学校へ入学と同時に弓道部に入部したのが弓を持つ始まりで,ついで進学した駒沢大学でも弓道部に籍をおいて長谷部範士に師事しました。その頃,日本射徳会に入会して修練をつづけ,昭和十六年には同会の四段に合格しております。  昭和十四年十二月には大日本武徳会に入会して初段に合格し,翌十五年十二月には二段に進みました。駒沢大学卒業後郷里に帰り,作手農林学校に就職して,同校の弓道部顧問として,弓道指導に当りましたが,太平洋戦争で応召したり,戦後は進駐軍の禁止指令で,およそ二十年間弓道からはなれておりました。  昭和三十六年十一月には全日本弓道連盟に加盟して,二段の認定をうけました。その翌三十七年四月には,作手中学校弓道部顧問となり,由来生徒の指導につとめております。そして去る四十三年七月には五段に昇段し,真摯な精進錬磨をつづけており,将来の大成を期待されている弓道人であります。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【おまけ】  いつの時代も。そして,輪廻のように。
プログラマ 「書いたとおりに動けよ!」 プログラム 「書いた通りに動いてるよ?」 教育者 「ちゃんと教育したのに若者は…」 若者  「学校で教育された通りだよ?」 親  「こんな子供に育てた覚えはない!」 子供 「その育て方の結果だよ?」