雨水。『消えるコトバ・消えないコトバ』(外山滋比古・著)
今日は,二十四節気の一つ「雨水」です。空から降るものが雪から雨に変わり,草木が芽吹くころとされます。
朝から天気の良い日になりました。風を冷たく感じましたが,寒くはありませんでした。
今日,市役所の健康福祉部の方とお会いしました。用件の後,最近のようすをお聞きしました。
当市では,新型コロナウイルス感染者の報告はありませんが,行政として“対応準備”は進められているようです。
2009年の新型インフルエンザでは,5月の国内最初の患者発生から3か月後に当市で児童の患者が発生しています。そして,3年後の2011年3月に“季節性インフルエンザとする”として終息しています。
ニュースでも話題になっている“感染症専門医の岩田健太郎氏(神戸大学教授)の報告”が活かされ,対応が進むことが望まれます。
さて,今回の新型コロナウィルス・新型肺炎の終息は…。
外山氏は,1983年に刊行された『思考の整理学』が,10年ほど前に「東大生協文庫売上1位」となって,若者にも“よく知られる学者”となったように思います。
その外山氏の『消えるコトバ・消えないコトバ』(PHP研究所・刊)を読みました。
“コトバ”について考え続けてきた著者が,その考察を“言葉”にた19篇のエッセイです。
本書を開くと,16ページのカラーページがあり,写真と言葉が載せられています。最初のページに
この本は, 客観的思考(アウトサイダー思考)と, 主観的思考(インサイダー思考)の違いを述べながら, 日本人に客観的思考の有用性について 理解してもらうためのエッセイ集である。と,本書の“主題”が述べられています。これに続く15ページを読むことで,本書が俯瞰できるように思います。 本書を読み終えて,再び読み返すと,最初とは違った読み方になりました。 「ばるほど」「そうか」と気になったところから
日本では見る人もなく,捨てるには,上紙がもったいないというので,くず紙扱いをされていたものが,まったく違った文化の人からすると,美の典型のようになったのは,おもしろい。 観光客はアウトサイダーとしてやってくるのである。インサイダーの知名人がPRしたって,しかたがない。アウトサイダーをさがして,その人たちにPRしてもらわなくてはならない。 まねる,というのは,アウトサイダーがインサイダーになろうとすることだから,おもしろくないのは当然である。まねようとするのはおもしろいが,実際に,まねられるようになれば,模倣はすこしもおもしろくない。すべて勉強がおもしろくないのは,そのためであると言ってよい。 ことばは発生的には主観的である。相手に伝えたいメッセージをはっきりしなくても,はじめのことばは存在しうる。 〈うたう〉ことばである。 すべての言語は,そのはじめは,〈うたう〉ことばである。コミュニケーションが意識されると,主観的にならざるを得ない。 長い間,この問題を考えていて,ひとつの仮説を見つけた。場の論理である。 文法で,第一人称,第二人称,第三人称を区別する。それぞれ固有の場をもっているが,(略) アウトサイダーは,インサイダーに勝ることがすくなくないが,見さかいのつかないほどになってはやはり困るのである。 インサイダーとアウトサイダーの調和,融合が理想である。 一人前になりかけると,人は日記をつけ始める。ついでに,手紙を書くようになる。(略) そういう日記のことばで,手紙を書くことは難しい。手紙の文体,用語がおのずから定まる。「モモタロウ」(第2章 おとぎ話の世界)が,とても面白かった。おススメです。 出版社の
読む人を、「知識の世界」から「理知の世界」という新たなステージに引き上げてくれる、刺激的な一冊である。に裏切られないコトバの話です。 それぞれのコトバに,自分の言葉を載せて読むと,本書の愉しさが増す気がします。 いかがですか。
目次 第1章 知らぬは亭主ばかりなり 第2章 おとぎ話の世界 第3章 変な味噌汁 第4章 日本は島国 第5章 古典誕生 エピローグ