集団「Emication」別館

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「作手村姓氏考(その1)」(続 つくで百話)

饂飩0118。 昨夜,雨から霙のようになりましたが,雪にはならずに済んだようです。朝は濡れた景色だけでした。  ほっとしながらも,「このままで大丈夫?」という気持ちがわいてきます。  いつまで,この天候が続くのかな。  『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「作手村姓氏考」からです。 ********     作手村姓氏考(その1) ──太田亮著 姓氏家系大辞典抄録── 斎藤 サイトウ 1. 藤原利仁の手叙用,斎宮頭たりしにより,世に斎藤と呼ばれ,子孫大いに栄ゆ。而して加賀斎藤,弘岡斎藤,疋田斎藤,鏡斎藤,河合斎藤,長井斎藤,勢多斎藤,吉原斎藤等々,その流族多し。 2. 三河の斎藤氏,幡豆郡中野城(中野村)は吉良家臣,斎藤宮内の居城なりと。又同郡角平(つのひら)村柴戸大明神社人に斎藤氏あり。又宝飯郡豊川の名族に斎藤氏ありて平家の族とす。  この氏大族なれば一々あげるにたえず。略す。 佐宗 サソウ 1. 武内宿弥の子孫蘇我馬子の裔。大和国高市郡曽我所在,宗我部比古神社神官宗我播磨守保慶が社職を子保頼に譲り,相模国に下向し,下曽我の地に本社を勧請し社人となる。この保慶の従族として大和国より来り曽我,宗我を名乗り,後世左宗,佐相,佐草,佐生,笹生,砂生,佐惣,佐々布,佐々尾,佐々宇,佐宗の姓を称す。 2. 三河佐宗氏は北条氏の部下として,相模より三河に派遣せられ,南設楽郡臼子城主となりし佐宗大膳重之の後裔が作手村和田,戸津呂に蕃延し,中河内から額田郡形埜村に及んだものと思われる。家紋,丸に鷹の羽打違い。 峯田 峰田 嶺田 ミネタ 1. 清和源氏宇野氏族,尊卑分脈に「頼清(伊豆国配流)−竹田冠者清高−清兼(号峯田源次)−峯田蔵人頼兼−同蔵人法橘源雅−伯耆坊頼弁」と挙げたり。 2. 大和の峯田氏は前項族か。春日若宮御社領葛山郡伴田御荘 応永二十五年注進状に峯田殿見ゆ。 3. 大和より関東に移る。頼朝歿後三河田峯村に来る。田峯より作手郷に入りたるものは弓木,小林,杉平,川合,相月,長者平等に定着し,一部,東郷村竹広に移る。  家紋 丸に鷹の羽打ち違い。 権田 権太 ゴソダ 1. 武蔵,上野にこの地名あり。上野発祥のこの氏は藤原南家 平井氏流にして江戸幕臣にあり。家譜に巨勢麻呂の男,黒麻呂の後胤丹後守保昌が八代権太(市郎)保国,吾妻郡権太に住して家号とし,後権田に改むという。家紋鶴の丸,九曜。 2. 三河の権田氏,宝飯郡の名族にして二葉松に「柑子村古屋敷,権田織部,後に遠州に移るとあり。  註 三方ヶ原合戦のとき,甲州勢に対し,後北条氏が援軍として約三千人を遠江三河に派遣した中に権田,荻野氏あり,これらの武士が作手郷に定着したものと思われる。 荻野 オギノ 1. 武蔵国小野氏流(又村上源氏) 相模国愛甲郡に荻野郷あり。海老名季貞の子季重 荻野五郎と称す。子孫武蔵国に栄え,武蔵七党横山党の一として著わる。 2. 三河の荻野氏 額田郡富尾城主に荻野勘兵衛ありと諸書に見ゆ。前項註参照。 菅沼 スガスマ  木和田 キワダ 1. 三河国設楽郡菅沼より起りし氏にして二流あり。一は古くより,この地に住せし南朝の遺臣にして藤原姓。菅沼俊治 永享六年二月足利義満に背き,土岐新三郎定直に討たる。二は清和源氏土岐氏族にして,本氏は土岐庶流,島田或は木和田,姓は源。家紋釘貫。土岐大膳太夫頼康──満貞──新三郎安達(木和田に改む)──新三郎定直(菅沼の地を賜いこれより菅沼と改む) 作手村誌に詳しければ略す。 (つづく) ******** 注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で