説明会。「弘法栗」(つくで百話)
天気がよく“暑い日”でした。衣替えが過ぎていますが,“夏の服装”で出かけました。
午前中,名古屋で行われた説明会(研修?)に参加しました。
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○○が必要とされる社会的背景
3つの社会変動
・経済のグローバル化 ;予測の不確実性
・少子,高齢,人口減少 ;労働力の減少
・科学技術の革新 ;変化の加速化,高度化
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「なるほど」の納得と「どのように」の思考の時間でした。
ありがとうございました。
さて,次の一歩は…。
終了後,松坂屋美術館で開かれている「木梨憲武展 Timing-瞬間の光り」を鑑賞しました。一つ一つの作品を楽しみました。
そして,イオン岡崎のほの国東三河の物産と観光フェアに立ち寄りました。多くの人でブースが賑わっていました。会場に,東三河広域観光協議会の佐藤会長がみえ,あいさつをした後,「○○は…」と最近の活動,新城の話をお聞きしました。
東三河の次の一手は…。
『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「
怪奇物語」から紹介です。
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弘法栗
菅沼の部落から元菅守小学校へ行く山道の中腹から五〇メートルくらいの上手に,牛が寝たような岩があります。これを弘法岩といっております。それは昔,昔の大昔のことでありました。秋もなかばの午さがり,この岩に腰をおろして休んでいた一人の旅僧がありました。
この岩から,少し離れたところに大きな栗の木があって沢山の栗の実がなっておりました。五,六人の子供が,この栗の木へよじ登って,栗をとっておりました。やがて,苦心してとった栗のいがから栗の実をとり出して袋につめているのを,ぢっと眺めていた旅僧が,つかつかと歩みよりました。
「わしにその栗を少しわけてくれないか」と旅僧がいいますと,子供達は,素直に,袋の中の栗をとり出して旅僧に渡しました。旅僧は大変喜んで「ありがとう。こんな大きな木では栗をとるのも大変だろう。これからは,こんな小さい柴栗に実がなってとりよくなるぞ」といいながら立ち去りました。
その翌る年からは,その辺に一面にはえていた一メートルくらいの柴栗にも,沢山のいががつくようになりました。
後日,村の人たちは,あの時の旅僧は,弘法大師だろうといって,その岩を弘法岩,柴栗を弘法栗というようになりました。
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【「つくでの昔ばなし」掲載】
◇「弘法栗」
注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で
【木梨憲武展より】