集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「御嶽山」(つくで百話)。台風15号。

トンボ0907。 朝から日差しのある暑い日でした。時々,東からの強い風が吹いたのは,台風の影響が出ているのだと思います。  台風15号(ファクサイ・FAXAI)は関東に向かう進路が予想されています。被害など出ないことを願います。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「山に因んだ話」から紹介です。 ********     御嶽山  作手郷旧田代村横山にある御嶽山は標高六六三メートルの山でありますが,この辺一帯は,奥三河の肥沃山林地帯の中でも特にすぐれたところです。そぴえる杉の美林が,果しなくつづいていた,この山の頂上附近に,一際年代を経た杉の古木が,こんもり繁茂していたのが御嶽神社の境内でした。  御嶽神社が奉祀されましたのは,人皇六十七代烏羽天皇の徳治二年三月となっておりますので今から約六六〇年も前のことでした。木曽の御嶽神社の御分身をおまつりしたともいわれておりまして,田代村,川手村の鎮守の神となっていましたが,遠方にも熱心な信者が多勢ありました。雁峯山下の村々でも,自分等も氏子であると主張したことが山諭の訴状に残っております。  御嶽神社には本殿や附属建物など幾棟かの堂宇が建ちならび,朱塗りの楼門などもあり,荘厳を極めたものだったようです。昔,御嶽神社の祠官をつとめた太田八郎右衛門藤原政次(現太田勉氏の先祖)時代に京都の芳野屋茂十郎,同市兵衛という人が寄進した立派な絵馬が現存しておりますが,この絵馬は縦一二〇センチ横八〇センチの堂々たるもので,当時の御嶽神社の全景が細く描写されておりまして,裏面に諸願成就,皆令満足願主敬白と大書してあるところからも由緒ある霊場であったことがうかがわれます。この頃の参道の両側には,耕地や宅地跡,弥宜屋敷,鳥居先,薬師堂,踊り場などの地名がのこっておりますし,少し離れたところに神田,上神田などという水田 跡も存在しておりまして,昔の殷賑さがしのばれます。  御嶽神社は,大正七年旧暦九月十日の白昼焼失してしまいましたが,その本殿跡に大小いくつかの石がならべてあります。その石に天白神社八幡神社白山神社熊野神社,西ノ宮神社と刻んだもの,文字の書かれていない自然石,仏塔の一部かとも思われる屋根型の石もおいてあることなどから,沢山の神社が合祀されていたことも想像される霊山でありました。  今から五百年位前に,所謂古戸崩として,大和田村を壊滅させた災害の原因をつくった悪徳修験僧が,小屋掛をして,呪咀の祈禱を行ったのも,この御嶽山の山中であったといわれております。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で台風情報】   ◇日本気象協会 tenki.jp 台風情報   ◇最新の台風NEWSならウェザーニュース   ◇hicbc.com:CBC気象情報
台風0907。