集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

地震発生。「甘泉寺夜話(4 こうやまき)」(つくで百話)

鳥0619。 綺麗な青空,気持ちのよく晴れた一日でした。  昨夜,10時過ぎケータイが「通知」で鳴りました。  震度6強地震が発生したことを伝える通知でした。ネットを見ると,津波注意報も発令されているようでした。  テレビを付けると,「あれっ」。ドラマが流れています。…  当地も大地震の発災が予想されています。改めて見直しをしようと思います。  みなさん,備えは万全ですか。 【参考】   ◇山形県沖の地震関連情報〜地震情報まとめと今後の注意点〜日本気象協会 tenki.jp)   ◇津波到達までの時間が短い日本海の大地震ウェザーニュース)   ◇震源付近、プレートのひずみ集中 過去にもM6超の地震朝日新聞デジタル)  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。 ********     甘泉寺夜話 四 こうやまき  甘泉寺前庭の西南の隅に,こうや槇の樹があります。昭和四十五年に,国の天然記念物に加えられ一躍世に知られる名樹となり訪ねる人も日々に多くなりました。  立派な樹とは誰しも思って居たのですが,こうや槇が日本個有の樹種であって,これ程古く,これ程立派な巨樹は,日本中他に類例のないものだと気のつく人は少なかったのです。  鴨ヶ谷の鈴木太富さんは郷土の自然科学者として知られている方でありまして,夙に植物の研究もなさいました。この方が,大正の初め頃から,郡時報や新聞に,こうや槇の立派なことを発表したり,照介なさったり,名高い植物学の先生方を招ねかれて見てもらったりされ,村指定,県指定と順を追って,遂に国の指定にまでなされました。此のことは,こうや槇のある限り忘れられない鈴木太富さんの功績であります。  甘泉寺のこうや槇は,此のような樹なのであります。  さて,此のこうや槇も始めから巨樹だったわけではありません。それでは独りで生えたものでしょうか。また誰かが植えたものでしょうか。  これには,次のような話が伝わっています。  甘泉寺開山見性悟心禅師が近江の国の本山から下向の砌一本のこうや槇を杖にして来られました。  寺に帰られると 「生きて大樹となれ喝!般若波羅密多」と仰有って,杖を庭の隅へ突立てておかれました。  杖はやがて芽を吹き枝を張って,成長を始めました。それが,此のこうや槇であるというのであります。  ごらんなさい。もう六百年もの樹令なので頂は枯れて白い骨と化し,天に突きささるばかりなのに,下枝はキラキラ光る葉に満ちてまだまだ元気です。何と立派な樹ではありませんか。本当に日本一の樹だと感じさせますね。 甘泉寺0619。 さて,いま一つの話  百年程前,秋も末のある朝のこと,この樹に大変なことが起りました。 「和尚さま! 和尚さま大変だ!」  いつものように庭掃除をしている筈のお小僧たちの,何やらわめく大声に,和尚さまも,おくりさまも,何事かと飛び出しました。 「あれを御覧なされませ。」とお小僧の指差す方を見ますと,今,朝の陽が射し初めたばかりの,こうや槇の高い枝の間から青い煙が立昇っています。 「あ,これは困った事になった。開山さまのお植えなされた樹の中へ火が入った。昨夜は夜中から風がでたでな。  お小僧,お前,昨日のお手伝の衆に早く知らせて呼んでお出で。」  お小僧の一人は参道をかけ下りました。  お和尚さま始め皆んなは,梯子だ,水だ,とかけ回ります。  昨日は寺の籾摺りで,檀家からお手伝を三人頼み,寺方も総出で,夕方までかかってやっと済ませました。  夕方,お手伝衆が例年のように籾殼や藁埃を,こうや槇の段下へ集めて火を付けて帰りました。  それが,夜半の風に煽られて,火気が根本の穴から吸い上げられ,樹の空洞を焼いているものと思われます。  やがてお手伝の衆が上がって来る。聞き伝えた村の衆が,我も我もと集って,大層賑やかになりましたが,誰も彼も,樹のてっぺんを見上げるばかりであります。 「何とか消せまいかのう。」と袴がけの和尚さまがいう。 「梯子があっても一の枝へも届かねえ。こんな樹へ上りようもねえし,上の穴から水を注ぐったって,水の取持ちようがねえわ,のう和尚さま。」  その通りである。周囲七メートル余りもの大樹,上の穴まで二〇メートルもあろうというのであります。  その中に一人の老人が 「これは仕様がねえで,赤べっとうで穴を塞いでみたらどうかのう。」といいました。「おおそうだ。」と一同目が覚めたように気着き,赤土を運び,練り,根元の穴へ石を積み上げたりして塗り込め,一先づ穴を塞ぎました。 「すぐには消えねえども,その中には消えるずら。」 「穴が上まで通っているだのう。」 「えれえもんだのう。」 「穴の中の五郎助もびっくりしやがったわな。」等とがやがやいいながら,それでも幾らか安心して皆んな退去しました。  火の勢は弱ったが中々消えてしまわなかった。どこからか風の通る所があったらしいので,七日七夜燻り続けました。その中に雨が来て,やっと煙が昇らなくなったといわれています。  それにしても,この智恵者は誰だったでしょう。  ちょっとの思い着きのようですが,実は大層な思い着きだったのであります。若し,この思い着きがなかったら,今日,私共は此のこうや槇を見ることが出来なかったのかも知れないではありませんか。  でも此の老人が誰なのか。名前は何というのか知る人はありません。  今も尚,其の時の粘土が穴の回りに残っているのを見ることが出来ます。 ******** 【「つくでの昔ばなし」掲載】   ◇「こうやまき (その1)」   ◇「こうやまき (その2)」 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で