こどもの日。『「学校」をつくり直す』(苫野一徳・著)
今日は,国民の祝日の一つ「こどもの日」です。そして「端午の節句」です。
帯で「義務教育は,このままでいいのか? 数多の“現場”に携わる教育学者による,渾身の提言!」と呼びかける『「学校」をつくり直す(河出新書)です。
著者は,
端午の節句の起源は,古代中国で厄払い行事が5月に行われていたことによるようです。 端午の「端」は,「はじめ」「最初」の意味で,「午」は,5月の最初の「午の日」に行われると言う意味です。 最初は必ずしも5月5日ではなかったようですが,午と5の語呂が同じで,その後,5月5日が厄払いの日として定着しました。 日本では,平安時代に「五節句」(人日,上巳,端午,七夕,重陽)が,季節の節目として,身のけがれを祓う行事が行われるようになりました。草餅や柏餅を食べたり,菖蒲湯につかるのは,薬草であるよもぎや菖蒲などを生活に取り入れた工夫だと思います。 10連休の一日ですが,端午の節句は“厄払いの一日”です。 今日は“厄払いの一日”でしたか。
学校教育の本質は,すべての子どもたちが「自由」に,つまり「生きたいように生きられるようになる」ための力を育むことにあります。そして,その「自由」を,相互に承認し合える態度を育むことにあります。と述べ,そこから“学校教育”の「今まで」を掘り下げ,「これから」を語っています。 学校の“システム”が,「みんなで同じことを,同じペースで」を基本とし,子供が「みんなで仲良く」「心を一つに」行動“してくれる”ことが一番都合よいとしてきた“問題”にします。 そこから,象徴的な例の一つとして,小学校などで見られる「○○スタンダード」をあげています。 それを問題とする点をあげつつ,
学校現場において統一的なマニュアルが必要とされているその理屈や気持ちは,わたしも分からなくはありません。スタンダードを全否定するつもりはありません。一つのあくまでも参照枠としてなら,あってもいいかもしれません。 でも,教育学の多くの研究が明らかにしているのは,…と,学校で広がる“教育の取り組み”に,「ちょっと立ち止まって」「弊害がありませんか」と,“考える”ことを訴えています。 “考える”には,
誰でもができるだけ深く納得できる,物事の「本質」を洞察する学問としての哲学です。「そもその教育とは何か,それはどうあればよい『よい』と言いうるか」という問いに対する,とことん鍛え抜かれた考え方を解明するもの。を“礎”として,そこから考えることが必要なのです。 この“考える”ことに時間と知恵を注ぐことが〈大切・重要〉と“分かって”いながら,それが出来ていないのが,今の学校現場だと思っています。 学校が「ブラック」と言われ,「働き方改革」を迫られているのも,同じ“分かって”いながら,それが出来ていないということです。 義務教育に携わるみなさんにお薦めします。 本書が述べていることを受け入れ,“直す”ことよりも,まず,「自分は,どう考えるか」「どのように教育(活動)するか」を“考える”ことから始めましょう。 でも,たっぷり時間をかける“余裕”はないように思います。すぐに取りかかることが肝心です。 本書を読んで,『「学校」をつくり直す』ことを始めてはいかがですか。
目次 はじめに 第1章 何が問題の本質なのか? 第2章 先生もつらい 第3章 学校をこう変える1――「探究」をカリキュラムの中核に 第4章 学校をこう変える2――「ゆるやかな協同性」に支えられた個の学び 第5章 わたしたちに何ができるか? あとがき 引用・参考文献【関連】 ◇我が国のこどもの数 -「こどもの日」にちなんで- (「人口推計」から)(総務省統計局 統計トピックスNo.120) ◇苫野一徳 (@ittokutomano)(Twitter) ◇苫野一徳(Facebook) ◇苫野一徳Blog(リニューアル中)