集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

弘法さま。「弓に由縁の弓木村」(つくで百話)

花0425。 今日は,旧暦3月21日で「弘法さま」の日でした。  この行事(接待)は,四国遍路(八十八ヶ所巡り)のお遍路さんへの接待になぞらえており,お参りされた方々にお菓子などがいただけます。  今日,用事があって出かけていましたので,お参りしたり,地域の様子を見られませんでしたが,多くの方が弘法さま(弘法大師)を祀る場所(寺・祠・社)にお参りし,接待を受け,お話を楽しんだことでしょう。  来年の「弘法さま」は,2020年4月13日(月・大安)です。地区の弘法大師を巡ってみませんか。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。 ********     弓に由縁の弓木村  日本武尊は,御東征のときに作手郷を御通過になりました。尊がお通りになった部落には白鳥神社がおまつりしてあり,現在作手村内に11社あります。  尊は長者平の米福長者の邸に,お立寄りになりました。邸内には鍛冶部屋がありましたので,ここで沢山の鏃を造らせられました。長者平を出発されて鴨ケ谷の谷にかかられると綺麗な泉がありましたので御手を洗われ咽喉をうるおされました。そこで,ここをちゃらいと呼ばれることになったときいております。この渓川に沿って降り,弓木部落を過ぎる辺の川端に見事な柳が群生しているのをみつけられた尊は,柳で弓を作られました。その傍らに碧水を漫々と湛えた深い淵がありました。この淵はそれから弓の木淵と呼ばれることになりました。ここに群生していた柳の木の一本は,千幾百年を生きながらえて,昭和44年の七号台風のもたらした水で流失するまで繁茂しておりました。目通りの周囲ニメートル五〇を超える稀有の大柳でしたが惜しいことをしました。  一説によりますと,承平二年頃に,京都から藤原刑部信仲という役人が,この土地にきて村を開き本山村と名付けて統括しておりました。それから凡そ二百五十年ぱかりのちの応和二年に,時の名主藤原刑部が弓を造って村上天皇に献上したときに,刑部は自分の領国には弓の木が豊富にあること,往昔,日本武尊が,ここで弓を造られた故事などを言上いたしました。帝は御感斜ならず,いたく嘉賞されまして弓木という村称を賜りましたので,それまでの本山村を弓木村に改称したともいわれております。弓木部落の中沢貝津に王薮という竹薮がありますが,ここの弓の木で弓を造って献上したといわれています。その弓の木の切り株の上に自然石を建て,皇子姥神としておまつりしています。毎年二月第一申の日と九月第二申の日を祭日と定め祭礼を行なっております。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で