組織は…。「一無位真人」と。
朝,久しぶりに“霜”のある寒い朝でした。日中は,晴れて穏やかな暖かい日でした。
この陽気に誘われて,ツーリングを楽しむオートバイや自転車の集団が目立ちました。先日までとは“違う風景”でした。道路沿いの雑木の枝先が赤みを帯びてきて,春の風と共に気持ちよかったことでしょう。
午前中,新城市遺族会理事会があり,出席しました。会長のあいさつに続き,議事で「平成31年度の運営について」「会計処理・会計報告について」などを中心に検討しました。
「支会で検討した結果…。」
「これまでの話し合いで…。」
「第○回理事会で決定した通りに…。」
……
戦後73年という時間の流れ,時代の変化なのか,組織によるのか,その発露は分かりませんが,大きな節目となりました。
次への“明るい展望”をもって進めれば…。
関係のみなさん,ありがとうございました。
誰しも,事に向かう前には「これで大丈夫かな」と不安になるものです。
思い出したのは,「一無位真人」という言葉です。
禅語の中に,「一無位真人」(いちむいのしんにん)という言葉があります。 「無位」とは,一切の立場や名誉・位をすっかり取り払い,何ものにもとらわれないということです。そして「真人」とは,真実の自己,すなわち真実の人間性のことです。 私たちは,いつも「人と比べて」落ち込んだり,悩んだりしてしまうのが常です。しかし,私という人間の中にいる本当の自分は,そういった周りのこととは無関係なのです。人との優劣で否定されるような存在ではありません。 他の人からいろいろ言われると,自信をなくしたり悩んだりしているのは,実は表面的な自分なのです。表面的な自分の呪縛から解放され,本来の自分を信ずることができれば,人は自分の存在を大切にすることができます。さて,「真人」として過ごせているかどうか。 そして,その結果として…。