「おかあさんの子どものころ」《父母が子どもの頃 14》
青空の綺麗な一日でした。
今日は休みで,日頃片付けられないものを整理したり,文書の処理などをしましたが,時間のわりに進みませんでした。
“暇”なので能率が上がりそうですが,“忙しい”ときより上手くいきません。何でかな…。
文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。
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『おかあさんの子どものころ』 (文・協和小4年 女子)
わたしのおかあさんの子どものころは,第ニ次世界大戦の最中だったので,お米がとてもたりなくて,毎日のべんとうはほとんどさつまいもで,たまにごはんのべんとうでも,おかすはうめぼしやつけものだったそうです。
どうしてそんなにお米がなかったのだろうと思って聞いてみたら,それは,戦っている人たちにあげるために「自分たちの食べる分まで国へあげてしまったからだ」と,話してくれました。むかしはそんなにたりなくて困っていたのに,今は反たいにあまって困っています。この話を聞いた時,わたしは,お米をたくさん持ってむかしへもどってみたいような気がしました。
食べる物だけでなく,はきものはぞうり,きものは太い糸でおったがらぼうといわれるもので,今のようにあたたかい毛糸や,きれいな服はきられなかったそうです。
仕事をするのにも,今のように,稲刈りからだっこくまで一度にやってしまうような機械はなく,足ぶみだっこく機や,とうみしかなかったそうです。田をたがやすのにも,牛や馬でやったり,人がびっちゅうでおこしたのだと話てくれました。
勉強も,今のようにきれいな教科書ではなくて,うすい新聞紙をとじたようなものを使ったのだそうです。戦争がすんで,きれいな本をもらった時は,ほんとうにうれしかったといっていました。
わたしたちは,それらのこととくらべると,とてもめぐまれていて,よいくらしをしていると思います。だから,もっともっとがんばらなくてはいけないと思いました。
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今,「教科書を受け取って嬉しい…」と感じてくれる子供は,どのくらいいるでしょうか。
教科書の裏表紙には,
この教科書は,これからの日本を担う皆さんへの期待をこめ, 税金によって無償で支給されています。 大切に使いましょう。と書かれています。 始業式・入学式に説明していると思いますが…。