「おとうさんの小学校のころ」《父母が子どもの頃 3》
立春を過ぎ,雨水に向っていく頃,“陽の長さ”を感じるようになりました。
夕方,時計を見て「もう時間…。」なのですが,外はまだ明るく,「もう少し」と欲張ってしまいそうです。
出先で,さらに思いました。
もう“春”です。
文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。
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『おとうさんの小学校のころ』 (文・菅守小3年 男子)
ぼくのお父さんは,もとの小学校守義イモリ山というところ(そのころは,菅守じんじょうこうとう小学校)へ,七年間通学したそうです。
「それは,えらい坂で,雪がふった時など,とてもえらかった。よく,雨ふりや雪ふりの日には,家の人におんでもらって行った子もある。」
といっていました。
生徒の人数は,今のぼくたちのクラスのように十七人ばかりではなく,どのクラスも三十人ぐらいはいたらしいので,ずいぶんにぎやかだったことが,わかります。
学校へ行く時のふくそうは,男の子は,冬は,黒の学生ふく,夏は,青のしもふりの学生ふくで,女の子は,げんろくそでのきものをきていった子も,あるそうです。また,体そうの時は,運動シャツ,パンツでやったというので,今では,ねまきさえ,パジャマが多くなってきたというのに,えらくかわったものだと思いました。
学げい会や運動会のことも少し教えてもらいました。
学げい会は,おどりが多くて,おどりのいしょうなどよそからかりてきて,なかなかすばらしいものだったが女のせいとのえんげい会のようなもので,男は,歌をうたわせてもらうぐらいのものだったので,つまらない時もあったようです。
そして運動会も,ゆうぎが多くて,今のように,きかい体そうなどというものはなかったらしいです。
学芸会も,運動会も,あの高い山まで,家のものみんなで,歩いて見に行き,大さわぎだったそうです。
遊びは,今のようにあまりスポーツなどやらず,学校では,さぎょうが多くて,校しゃなどわるくなった所をなおす,しょく人さんのお手伝いなどをしたり,上級生は,学校で使うすみなどをやいたりしたので 学校でみんなしてたのしく遊ぶことは,少なかったようです。
しかし家では,しゅくだいもあまりなかったので,みんなで,時々いたずらをしたりして,近所の人を,こまらせたようなので,ぼくのお父さんならきっと,いたずらもはげしかっただろうなあと思うと,わらえてきました。
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今の子供達は,“昔のお父さんの話”を,どのように聞くでしょうか。
【おまけ】
昨日に続いて,ANAの機内ビデオです。
飛行機を降りる時は,急いで出口に向かっていきますが,その時にメイキングビデオが流れています。
慌てず急がず,こうしたビデオを見る余裕が,楽しい旅行にしてくれます。気づいていましたか。