「むかしの巴小学校」《父母が子どもの頃 2》
今朝,外を見てびっくり!
田や畑に“白いもの”が見えます。雪です。昨夜の天候から雪が降るとは思いませんでしたし,天気予報も伝えていませんでした。
今季は極端に雪が少なく,今朝の雪も“わずか”でした。日差しが当たると,すぐに消えてしまいます。野山が“保水”するものには役立っていなさそうです。
このままいくと,春の農作業で困ることになるかもしれません。昔なら“水争い”の騒動を心配しなければならないでしょう。今はそんなことはありません。
さて,このまま春を迎えるのでしょうか…。
文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。
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『むかしの巴小学校』 (文・巴小4年 女子)
うちのおばあさんは,作手村で生まれたのではなく,鳳来町の生まれです。それでも,四十年くらい前に作手村に来たので,そのころの学校の話を聞きました。
いまは,市場の部落を通って広い道が新城へ通じていますが,そのころは相寺部落を通って赤羽根へ出て,杉平からかんぼう山の坂を登って新城へ出たのですが,巴小学校は,その相寺にあったのです。
運動場は今の方が広く,ところどころに草がはえていたそうですが,今は,そのあとが畑になっています。校舎も,今にくらべれば,ずっと小さくて,そまつだったようです。
でも,子どもの数は今よりも多くて,二百人以上もいたそうです。どの子もズボンははいていなくて,着物でした。くつをはいている人もなくて,みんなわらぞうりでした。雨のふった日はげたでしたが,今はみんな長ぐつです。はきものだけから考えても,むかしと今ではずいぶん変わったなあと思います。
そのころでも週番がいて,授業のはじまりには,リンを手でふってみんなに知らせたということです。ふってまわる人はえらかったでしようが,ベルよりも,その方がのんびりしていて,よかったなあと思います。
おばあさんが作手に来たころにくらべると,おかあさんたちが巴小学校へ行ったころの方が,少しはよくなっているだろうと思って,こんどはそれを聞きました。
おかあさんが六年生になった時,今ある所へ学校ができました。雨のふる日は,うすい紙をはったかさをさして行ったそうですが,すぐに穴があいて困ったそうです。そこで,ござで作った三角形のぼうしのようなものをかぶって行ったそうですが,今考えても,おかしなかっこうだったそうです。でも,それだとやぶれないし,風にとばされることもなかったそうです。
かばんは,やはりランドセルでしたが,今のように皮ではなく,ポール紙につぎがはってあるだけのものですが,女の子たちは,それに花などのもようをつけたそうです。えんびつは,小さくなってもすてないで,長いえんびつかぶせをつけて,いつまでも使いました。わたしは,手にもてなくなるともう使いません。
家のお手伝いをすることが宿題で,勉強の宿題はなかったそうですが,いくら宿題があっても,いまの学校のほうがいいなあと思います。でも,おばあさんやおかあさんから聞いたむかしの小学生がいまいても,笑ってはいけないことだと思います。
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今,子供達が使う傘は,色やデザインも綺麗で,丈夫です。ワンタッチで開いたりもします。
お母さんが使った「うすい髪をはったかさ(傘)」は,どんな物だったのでしょう。
最後で,「笑ってはいけないこと」と,あえて書いています。この“笑う”のは…。
【おまけ】
航空機を利用する時,安全ビデオをしっかり見て,きちんと理解していますか。
ANAの機内安全ビデオが新しくなっています。テーマは「歌舞伎」。