『永遠についての証明』(岩井圭也・著)
「寒さは和らぐのかな…。」
朝は空に雲が目立ちましたが,徐々に晴れ間が広がり,晴れた日になりました。
当地では,もう雪が降り積もるようなことはなさそうです。道路凍結もなさそうですし,自動車も夏タイヤに替えても大丈夫かもしれません。
一雨ごとに暖かさを増し,“春”に向かうでしょう。
春よ来い!
今日,市役所こども未来課,作手中学校,作手小学校と,次年度の活動についての連絡と相談をしました。
子供のこと,地域のこと,“教育”のこと…
課題の一つ一つに“成果”がみられるよう,関係のみなさんが活動してみえます。よろしくお願いします。
小学校長からいただいた資料は,「考えさせられること」がたくさんありました。
考えをメモしていたら何ページにも…。
さて,どうしたものか…。
第9回野生時代フロンティア文学賞の受賞作品『永遠についての証明』(角川書店・刊)を,わくわくして読みました。
帯・紹介文には,
「俺は瞭司がうらやましい。お前みたいな才能が手に入るんなら,何だってする―。数学の天才と青春の苦悩」 「僕らは数学という燃えあがる船に乗り合わせている。船が終着点にたどりつくためなら喜んで灰になるつもりだった」 特別推薦生として協和大学の数学科にやってきた瞭司と熊沢,そして佐那。眩いばかりの数学的才能を持つ瞭司に惹きつけられるように三人は結びつき,共同研究で画期的な成果を上げる。 しかし瞭司の過剰な才能は周囲の人間を巻き込み,関係性を修復不可能なほどに引き裂いてしまう。 出会いから17年後,失意のなかで死んだ瞭司の研究ノートを手にした熊沢は,そこに未解決問題「コラッツ予想」の証明と思われる記述を発見する。贖罪の気持ちを抱える熊沢は,ノートに挑むことで再び瞭司と向き合うことを決意するが――。と紹介されていました。 若き“天才数学者”の瞭司を主人公に,その「数学」に向かう姿と苦悩が描かれます。
だから数学と出会った時の感動はひとしおだった。 (略) しかし,誰かのつくった問題をいくら解いても,〈得体の知れない何か〉の正体は明らかにならなかった。その先にある,まだ見たことのない領域に触れたい。願いに突き動かされるように,瞭司は貪欲に知識を求めた。“数学”と向き合っている瞭司が,協和大学の小沼教授に出合って,変わっていきます。 大学に入学し,熊沢と佐那に出合って,瞭司の世界が広がります。 論文発表,特別推薦,飛び級卒業,大学院,助教… 3人での共同研究が“結果”を出します。 そこから,少しずつズレが始まり…。 (出会って間のない熊沢と瞭司との会話)
「テストで解けなかった問題とかないのか」 「テストなら,ないよ」 「本当に,たった一問もないの?」 「ない」間髪を容れず,瞭司は答えた。 「僕,テストって嫌いだけどね。テストの問題って答えがあるでしょ。答えがあるってことは,すでに誰かが解いているってことだよね。他の誰かが解決済みの問題なのに僕が解く必要あるのかなっていつも思う」「プルビス」に魅せられた瞭司は,ひたすらノートに向かって書き綴っていきます。 「プルビス」に立ち向かう至福の時間は,実生活そして体を蝕んでいきました。 そして…。 「二十一世紀のガロア」と呼ばれた瞭司。 その瞭司が残したノートを手にした熊沢が,6年の時を経て…。 そして佐那が…。
「プルビスというのは、〈新しい数〉なんです」 数学の歴史は,数の概念が拡張されてきた歴史でもある。自然数から整数が生まれ,さらに有理数が,実数が,複素数が生まれてきた。新しい数の概念が生まれるたび,暗闇と思われていた箇所に光が当たる。数学者たちはそうして少しずつ,数学の領域を拡大してきた。 プルビスはそれに連なる,新しい数の概念だ。熊沢には,プルビスが数学の地平を切り拓く予感があった。主人公の挑戦と苦悩,葛藤の世界に,物語に引き込まれていきました。魅力的な作品です。 そして,数学を愉しみ,学問を愉しむことの喜びを感じ,思い出させてもらいました。 あなたも,「二十一世紀のガロア」と船に乗ってみませんか。 【おまけ】 本書のなかで,「数覚がある」という言葉・表現が出てきました。子供達が身につけて欲しい感覚だと思いながら読みました。 初めて聞いた言葉でしたが,小平邦彦氏の言葉を引用して説明されていました。
数学が分かるとは,その数学的現象を『見る』ことである。『見る』とは或る種の感覚によって知覚することであり,私はこれを数覚と呼ぶ。【関連】 ◇岩井圭也 (@keiya_iwai)(Twitter)