集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「おじいさんの若い時代と現代」《生活の移り変わり 9》

夜景1225。 天気のよい日で,冬の寒い日でした。  出かける時の気温が3度,車を走らせると−1度の所があり,日中10度を超えていました。大きな寒暖差に,体がびっくり。  出会う人たちは,コートなどを着て暖かそうです。そうした中に“薄着”の人を見かけ,「風邪をひかないかな…。」と心配になるだけでなく,見ているこちらも“寒くなる”ように感じます。  お願いできるわけではありませんが,PTOに合った服装をしてほしい。  週末からの寒さは,どれほどかな。  文集「こうやまき」から,「生活の移り変わり」の一話です。 ********    『おじいさんの若い時代と現代』 (文・協和小5年 男子)  ぼくたちの部落が今のような生活に変ってきたのは,大きく分けると,第ニ次世界大戦後で,日本が戦争に負けてからだそうです。  おじいさんの子どもの頃は,電気もひけておらず,たい松のあかりで生活をしていたそうです。それから,青年になってから,カンテラ・ランプなどという道具ができてきたそうです。  まだ,その頃は,田代から新城の町へ買い行くのにも,今のように自動車で行くでなく,かんぼう山の峠を越えて,片山という部落を通り,住復十六キロの道を馬や牛の背にたき木や木炭の俵を積んで,また,自分にも,しょいこで背負って行き,それを売って,塩,みそ,さとうなど,日用品を買い入れてくるという生活だったそうです。ぼくも,かんぼう山の山道を歩いて新城へ行ったことがありますが,毎日,荷物を背負って通うことは,とてもつかれてしまってえらいことだと思いました。  このような話を聞くたびに,昔の人たちは,ずいぶん苦労をしたのだなあと思います。終戦後,ぼくたちの村にも自動車の通れるような県道ができたり,また,昭和二十二年には,電燈もついたそうです。その頃のおじいさんたちは,明るい電燈の輝きを見て,アポロ十一号が月着陸に成功した時よりも感げきして,たいへん喜んだと話してくれました。また,道路ができてからは,トラックなどがはいるようになり,まきや木炭も,一度に,牛や馬の何十倍も運んでしまうようになり,仕事もはかどり,山道を歩いて通うようなことをしなくなりました。また,おみせ屋さんの車が,どんどんはいってくるようになり,なんでも,家にいて買えるようになり,便利な時代だとおじいさんが話してくれました。  ぼくは,おじいさんの話を聞いて思ったことは,やっぱり,村の発展は,道路が良くならなければいけないと思いました。もし,道路が悪ければみんな苦労をします。ぼくは,ハイウェーが通ればよいといつも思っています。 ********  さて,お爺さんに聞いた「若い時代」から「現代」,そして“ぼく”が描いた「今」を,“ぼく”はどのように見ているでしょう。 ,