「米つき」《生活の移り変わり 2》
曇り空から雨が落ちてくることがあり,曇りか雨か迷う天候でした。
明日は晴れるようですが,徐々に気温が低くなっていくようです。冬が近づいています。
今日,久しぶりに通る道路,立ち寄る場所がありました。
新しいものがあったり,無くなったものがあったり,“大きな変化”を感じました。
文集「こうやまき」から,「生活の移り変わり」の一話です。
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『米つき』 (文・巴小3年 女子)
わたしの家のよこには,黒くくさってしまった家のあとがのこっています。それは,何かというと,ずっと前にここでお米をついた水車小屋のあとだそうです。水をとったさわのあともあります。今では,農協でせんぶきかいでやってもらうので,大変楽ですが,むかしは,えらかったと思います。それで,お米つきのいろいろなことを家の人に聞いてみました。
むかしは,急な山あいから,落ちてくる水を利用して,お米をついたそうです。ボートのような形の細長いあつい木の先ををくりぬいて,太いてつのぼうをとうして高くこていさせ,この中に水がたまると,こぼれて,もとの位置にもどったそうです。一日に,げん米を七kgぐらいつくことできました。むかしは,この細長い木を利用して,二,三げんでかわるがわる使いました。
そのあと,できたのが,水車を利用したものです。たくさんの上ごのような形のものを,まるくわにして,心ぼうにこていさせて,水を上ごの一部分に一ぱいにさせて,この重みを利用して,ひとりでにくるくる回ります。そのカで,十五センチ四角のニメートルもの長いきねが上ったり下ったりして,木のうすに入れた米が一日で白くなりました。この方が力が強いので,入れるお米のりょうは,十五kgから大きいのは,三十kgぐらいつくことが出きたそうです。きねも二本から四本ぐらい,かたみに上ったり下ったりしてお米をつくので,カッタンカッタンと大きな音が毎日していたそうです。また,この人たちは車屋さんといって,お米をつくのをしょうばいにしている家が多かったのです。この人たちは,きねの音でお米のつけぐあいが,だいたいわかったそうです。どうすると,そんなことかわかるのかなと思いました。つけてしまったお米は,ぬかが一ばいはいっているので,目の細かい金あみのついたフルイというもので,全部とおしてお米とぬかを分けました。だから,きているきものも,かみの毛も,ぬかでまっ白になってしまいました。車屋の中は,くものすがいっぱいはっていました。これに,ぬかがかかってきみの悪い感じでした。
このごろでは,電気やモーターでかんたんにできます。でも,ごはんにたいた味は,むかしの方がおいしいとおかあさんがいってくれました。そのころは,自動車も少なく村全体がのんびりしていたから,コットンコットンと水車小屋の音がとても楽しいリズムのようだと話してくれました。おかあさんたちは,わたしが,やりたいと思ったことがやれたんだからいいなと思いましたが,やっばり今のきかいの方が便利だろうなという気持ちも少しました。
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当地では水車が残っているところはなく,この話から“思い描ける”子供はないかもしれません。
みなさんは,水車での「米つき」が分かりますか。
【おまけ】
「あるある」ですか?