集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「キツネつき」《作手村のむかし 32》。 「I.N.A」。

花0817。 今朝は,気温が10度台の“寒い朝”でした。前線が南下し寒気を持ち込んだようですが,いつもの“盆過ぎの気候”になりました。  日中は晴天で日差しがあり,暑い日になりましたが,以前のようなことはありません。  過ごしやすい一日でした。  今日お会いした方が,先月末の平和祈念式典のときの話をされました。戦争のこと,豊橋空襲のこと,そして講師への感謝の言葉など,そして「よい機会であった」と言っていただきました。  その中で,「その日の花(白菊)がずっと枯れなかった。」ということも言われました。暑い日が続きましたが,仏壇に置いた花は枯れることなく,朝夕に手を合わすことができたそうです。  その方は,「式典に使われた花に“平和を思う魂”が宿って…。」と。  不思議だけど,そうなんだろうと思える話でした。  文集「こうやまき」から,「作手村のむかし」の一話です。 ********    『キツネつき』 (文・作手中3年 男子)  現在の明和付近に「ヒャッコウシン」という名の所があります。そこは昔から気味の良くない所として知られていますし,今でも気味の悪い所ですが,昔,ニ十年ほど前は車も普及していませんでしたので歩いて通らなければならなかったわけですから,なおさらだったと思います。「ここは気味が悪い」と言う人々の理由はさまざまですがたとえば,幽霊とか亡霊などが出るというのです。 百庚申0817。 次に述べる事は母の在所の,祖母の体験記です。  ある日僕のおじさんにあたる人が病気にかかったので祖母が医者に見せに行くというのです。しかし医者は今の明和に一人いるだけなのです。現在バスで明和まで一時間位かかるのですが当時パスなどありませんでしたので歩いて行ったわけです。明るいうちに明和に着いたのですが医者に見せると「一時間休んでいけ」と言うのです。『急いで帰らねば暗くなってしまう,暗くなってからあのヒャッコウシンを通るのはいやだから』と思っても医者の言うこと,まずしぶしぶ聞いて一時間を気にしながら待ちました(ここで気がおちつかなくなっているのです)…そして一時間が過ぎるとすっかり暗くなっていました。しかし急いで帰らねばなりません。祖母は誰かいっしょに行かないものかと思って帰り始めると一人守義(祖母の家のある所です)へむかって歩いているのです。「ちょうどいい」祖母はそう思って追いつこうとします。しかしなぜか追いつけません。歩いているのは若い女らしいのですが,どうも追いつけません。そこで足を速めるとその女も足を速めます。そこで走るようにして追いつこうとすると女も走るようにするのです。(祖母は,いつこの女が現われたのかにも気づかず後を追ったわけです。)…。  こんなことをしているうちに善夫付近に知らずのうちに来てしまいました。そこで突然若い女が消えたかと思うと,まもなく何かの姿のハッキリしない動物らしいものが現れました。そして少しすぎると,それは急に田のすみにうずまってしまったのです。祖母はようやくこの異常な事態に気づくと『これはきっと,キツネか何かが化そうとしているんだ』そう思って,『もうこれ以上,だまされないぞ,一人だと思ってあまく見るとひどい目にあわすぞ』そんな気持ちで,有りもしない力を無理に出すと意外にも力がよく出るのです。そして,田のすみにうずまっている動物らしき物を,やたらカまかせに棒で,たたきつけたのです。全く動かなくなったのを見てそれを取って見ると動物どころか,ただの稲束だった,といいます。  祖母は錯乱状態になっていて,ない動物まで見えたりしたのだと思うのですが,この『ヒャッコウシン』ではこんな話が少なくありません。またこのような話を聞いて知っていたものですからよけいに錯乱しやすかったのかもしれません。  現在は歩いて通ることも少なくなったのでこのような事になることは,ないだろうと思うのですが全く作手村からこのような話が姿を消すのも寂しい気がします。 ******** 【おまけ】  宮城県栗原市のPRをする(?)動画だそうです。  話題の曲 DA PUMPの「U.S.A.」を替え歌にした『I.N.A(田舎)』です。