集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「鳴沢の滝」《作手村のむかし 19》

花0713。 今朝から青空が広がる良い天気でした。  西日本を中心とする豪雨災害の発生から1週間,死者が200名を超え,今も行方不明者の捜索が続きます。  被災地では,復旧に向けて作業が続きますが,“マンパワー”が足らないようです。  この連休には,被災地にボランティアの方が入っていくことと思います。  人手のいる所に,ボランティアの力が上手く生かせますように。   ◇(西日本豪雨支援通信)ボランティアの受け入れ窓口(朝日デジタル)   ◇3連休で水害ボランティアに参加する人へ。必ず知っておくべき6つのこと《西日本豪雨》(ハフポスト)  文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「作手村のむかし」の一話です。 ********    『鳴沢の滝』 (文・菅守小6年 女子)  わたしの住んでいる小滝(こだき)のはずれ,鳴沢橋(なるさわばし)の所に滝がある。昔は,「大滝(おおだき)」とよんでいたが,今では,「鳴沢の滝」というようになった。滝は「一の滝」,「二の滝」,「三の滝」と三つに分かれ,「三の滝」が一番大きく,高さ三十メートル,滝つぼの直けいニ十メートル,深さはわからないが,ドードーと音をたてて流れおち,水はみどり色でとても深そうだ。  滝のそばには,お不動さまがまつってある。このお不動さまは,雨ごいの神といわれ,七,八十年前,大日でりがあったとき,おっさまをたのんで雨ごいをしたという。おっさまが,「おけちみゃく」とよぶおふだを,十二枚滝のふちへ一枚ずつ流すと,一枚が滝つぼの中ほどまでもどり,うずをまいて入っていってしまった。おっさまががおがんでいると,そのうちに雲がでてきて大つぶな雨がふりだしたそうだ。  この話は,祖父のおじいさんが,話してくれたものだそうだ。今から六十年ほど前,祖父が七十のとき,豊橋の赤岩という所で日でりが続き,滝の水をかりていって雨ごいをしたときも,雨がふってよろこんで滝の水をかえしに来たという。  この滝について,つぎのような伝説を祖父が話してくれた。  昔,滝へ来て, 「ぜんやおわんをかしてください。」 とおねがいすると,ぜんやおわんがういて出てきたという。人をよせるときには,みんな滝へ行ってかりていた。あるとき,かりたぜんが一つこわれたが,だまって,ほかのものだけ返した。それからは,いくらおねがいしても,もう貸してくれなくなった。  滝のぬしは,にわとりだとか,大じゃだといわれていた。昔,滝のへんを松平の里といったころ,家が六・七けんあって,にわとりをかっていると,いつのまにか,いなくなったり,夜中に滝からにわとりのなき声が聞こえたりしたからだ。  滝は,神さまが住んでいるといわれ,食物を入れると,大あれがするといって,昔は,さかなつりもしなかった。しかし,今では,滝のぬしが,大じゃだとか,にわとりだとかいうことはあまりない。さかなつりもする。また遠くの方から滝を見にくる人もいる。愛知県の滝のうちでも,「鳴沢の滝」は,大きなもので,もっと道がよくなれば,作手を通る人がふえ,通りついでに見たりして,今までよりも多くの人に知られるようになる、とわたしは思っている。 ********  この夏,多くの方が“夏遊び”に訪れることと思います。  こんな話のあることも知っていただけるとよいのですが…。