「鳴沢の滝」《作手村のむかし 19》
今朝から青空が広がる良い天気でした。
西日本を中心とする豪雨災害の発生から1週間,死者が200名を超え,今も行方不明者の捜索が続きます。
被災地では,復旧に向けて作業が続きますが,“マンパワー”が足らないようです。
この連休には,被災地にボランティアの方が入っていくことと思います。
人手のいる所に,ボランティアの力が上手く生かせますように。
◇(西日本豪雨支援通信)ボランティアの受け入れ窓口(朝日デジタル)
◇3連休で水害ボランティアに参加する人へ。必ず知っておくべき6つのこと《西日本豪雨》(ハフポスト)
文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「作手村のむかし」の一話です。
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『鳴沢の滝』 (文・菅守小6年 女子)
わたしの住んでいる小滝(こだき)のはずれ,鳴沢橋(なるさわばし)の所に滝がある。昔は,「大滝(おおだき)」とよんでいたが,今では,「鳴沢の滝」というようになった。滝は「一の滝」,「二の滝」,「三の滝」と三つに分かれ,「三の滝」が一番大きく,高さ三十メートル,滝つぼの直けいニ十メートル,深さはわからないが,ドードーと音をたてて流れおち,水はみどり色でとても深そうだ。
滝のそばには,お不動さまがまつってある。このお不動さまは,雨ごいの神といわれ,七,八十年前,大日でりがあったとき,おっさまをたのんで雨ごいをしたという。おっさまが,「おけちみゃく」とよぶおふだを,十二枚滝のふちへ一枚ずつ流すと,一枚が滝つぼの中ほどまでもどり,うずをまいて入っていってしまった。おっさまががおがんでいると,そのうちに雲がでてきて大つぶな雨がふりだしたそうだ。
この話は,祖父のおじいさんが,話してくれたものだそうだ。今から六十年ほど前,祖父が七十のとき,豊橋の赤岩という所で日でりが続き,滝の水をかりていって雨ごいをしたときも,雨がふってよろこんで滝の水をかえしに来たという。
この滝について,つぎのような伝説を祖父が話してくれた。
昔,滝へ来て,
「ぜんやおわんをかしてください。」
とおねがいすると,ぜんやおわんがういて出てきたという。人をよせるときには,みんな滝へ行ってかりていた。あるとき,かりたぜんが一つこわれたが,だまって,ほかのものだけ返した。それからは,いくらおねがいしても,もう貸してくれなくなった。
滝のぬしは,にわとりだとか,大じゃだといわれていた。昔,滝のへんを松平の里といったころ,家が六・七けんあって,にわとりをかっていると,いつのまにか,いなくなったり,夜中に滝からにわとりのなき声が聞こえたりしたからだ。
滝は,神さまが住んでいるといわれ,食物を入れると,大あれがするといって,昔は,さかなつりもしなかった。しかし,今では,滝のぬしが,大じゃだとか,にわとりだとかいうことはあまりない。さかなつりもする。また遠くの方から滝を見にくる人もいる。愛知県の滝のうちでも,「鳴沢の滝」は,大きなもので,もっと道がよくなれば,作手を通る人がふえ,通りついでに見たりして,今までよりも多くの人に知られるようになる、とわたしは思っている。
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この夏,多くの方が“夏遊び”に訪れることと思います。
こんな話のあることも知っていただけるとよいのですが…。