ふれあいひろば。『16歳の語り部』(雁部那由多 他)
朝から青空が広がり,晴れた暑い日になりました。空に浮かぶ積雲が夏を感じさせていました。
午後,夕立が来るかと思う空模様になりましたが,パラパラと降っただけでした。
当地も,「梅雨明けしたとみられる」とのことです。さあ,本格的な夏です。
午前中,つくで交流館で「親子ふれあいひろば」が行われていました。
この催しは,「子育てを楽しむ会 この指とまれ」が主催し,市内の幼児と保護者が参加し,絵本の読み聞かせや紙芝居,シャボン玉遊び,スイカ割りなどを楽しんでいました。
天気もよく心地よい風の吹く中庭での遊びは,いつもと違う親子の時間を過ごしているようでした。
芝生の中庭は,子供達がいろいろな過ごし方ができます。お子さんと一緒にどうぞ。
図書室の書架に目立たず並んでいた『16歳の語り部』(ポプラ社・刊)ですが,何故か“訴えかける”ように見えました。
東日本大震災のとき小学生だった3名が「語り部」として語ったことの記録です。
読み進めていくと,2012年10月に,“重い口を開いた”高校生の記録を読んだ時の衝撃が蘇ってきました。
“語らない”と決めたわけではないが,語れなかった彼らが,言葉を紡ぎ出したとき,その言葉を受け取るのは大変だったと思います。
大地震への備えだけが防災ではなく,「いつ起こるか分からない」ことへの備えは,どれも防災だと思います。
そして,“そのとき”に遭遇すれば,それに対処し,その後を“生きていく”のは変わりません。それは,年齢に関係なく“同じ”ように起こります。
また,「未災地」という表現を初めて意識して読みました。地震,津波,台風,火山噴火…など,災害はやってきます。今は「未」なだけです。
語り部は,“もう子供でなく,大人になっていない”彼らの思いを伝えてくれます。
彼らの語りを,子供達に聞かせてあげたい。
○ 避難途中だった大人が5人ほど,僕の目の前で黒い津波にさらわれていったのです。あのときの光景は,今でも目に焼きついています。 ○ 僕の目に映ったのはそんな美しいものばかりではありませんでした。(略) 生きるか死ぬかという状況になったとき,人はどうしても自分優先になる。そんな現実を,子どもながらに目の当たりにしたのです。 ○(物資の配給のときも…)まさにこの世は『羅生門』(芥川龍之介 著)なんだと,小学生ながらに思いました。(略)でも,そういうとき,父はいつも私に言うのです。「人間にはこういうところもある。それもちゃんと受け止めた上で,お前は人としてきちんと生きていけ」 ○ そんな中,僕が唯一うれしかったメッセージがあります。「もうじゅうぶん頑張っているのは知っています。(略) 僕たちは同じ日本にいますから,安心してください」 ○ だから,クラスの人たちも学校で吐き出すしかなかった。当時,男子は特に荒れていましたから。 ○ でも,学校がないほうがよかったとは決して思いません。少なくとも私やクラスの男子たちは,ぶつかって発散することで,なんとか自分を保っていたんだと思います。 ○ たぶん,あのとき私たちに必要だったのは,言葉ではありませんでした。ちゃんとこの,私たちのごちゃごちゃしたよくわからない気持ちを,丸ごと見守ってくれるような,そんな大人の行動だったんだと思います。 ○ でも,何より驚きだったのは,こうした大人たちの苦悩も迷いも,子どもたちはちゃんと見抜き,理解したうえでこの5年の歳月を過ごしてきたということ。そして,あのすさまじい体験を糧に,ちゃんと成長してきたということだ。 ○「防災とは,ただいまを言うことです」 「いってきます」と出かけたら,必ず「ただいま」を言う。それが毎日続いてほしい。あの日言えなかった,聞けなかった,たくさんの「ただいま」があるのだ。
もくじ はじめに──「3人の語り部」との出会い 第1部 3人の語り部 雁部那由多/津田穂乃果/相澤朱音 第2部 語りを受けて 山城未裕/佐藤敏郎 おわりに【関連】 ◇『16歳の語り部』――子どもたちが歩んできた3.11(ハフポスト) ◇本に託した「伝えたい」という想い | 『16歳の語り部』表彰式スピーチ全文(WEB asta) 【おまけ】 ネットから支援募金 ※Tポイントで1ptから寄付できます(期間固定Tポイントもご利用いただけます) ▼平成30年7月大雨被害緊急災害支援募金(Yahoo!基金) ▼大雨洪水緊急支援(A-PADジャパン) ▼被害の大きい広島・岡山で活動を開始(ピースウィンズ・ジャパン) ◆平成30年大阪府北部を震源とする地震緊急支援募金(Yahoo!基金)