みどりの日。「弘法栗」《作手村のむかし 3》
今日は,国民の祝日の一つ「みどりの日」です。「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し,豊かな心をはぐくむ」とされます。
木々は新緑が輝いています。この美しさを愛でる日(時期)です。
文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「作手村のむかし」の一話です。
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『弘法栗』 (文・菅守小6年 女児)
「もも栗三年,かき八年,ゆずは九年でなりかかる。」ということわざがある。しかし,他の部落とちがって菅沼には,三年もたたず,小さな木のうちから実をつける「しば栗」が多い。秋に,野山へ栗拾いに行くと,小さな栗の木に実がついているのを,よく見かける。こういう栗の木が菅沼だけに多い,ということについて祖母から,つぎのような話を聞いた。
昔というだけで,いつごろのことかわからないが,菅沼の子どもたちが集まって,わあわあさわぎながら,
「その栗をとって。」
「あそこの栗もとって。」
などと言いながら,楽しそうに大きな栗の木から栗の実をとっていた。
するとそこへ旅のおぼうさまがやって来た。おぼうさまは,しばらく子どもたちの栗の実とりを見ていたが,やがて,子どもたちに
「そのくりをわけてくださらんか。」
と言いだした。すると,子どもたちは,
「たくさんわけてあげたいけど,栗の木が大きくて,少ししかとれないから。」
と言って,栗を少しわけてあげた。するとおぼうさまは,たいそうよろこんで,
「来年からは,あまり大きくなくて,子どもたちでもとれるくらいの栗の木に実がなるだろう。」
と言って去っていった。
つぎの年の秋になると,なるほど,旅のおぼうさまの言ったとおり,小さな木にも栗の実がたくさんなるようになった。そこで,旅のおぼうさまは,きっと弘法さまだろうということになり,栗の木のことを「弘法栗」というようになった。ということである。
「弘法栗」とは「しば栗」のことで,秋には五十センチメートルくらいの小さな栗の木でも,実をつける。味も,ふつうの大きな栗よりもおいしく,小つぶながらとてもよい栗である。
この他にも,菅沼には,昔から伝わる伝説が,たくさんあるらしい。昔の人々は,テレビとか本がなかったので,そのかわりに祖父母,父母などから伝説を聞いたということである。だが,わたしたちは,テレビや本があるので,昔の伝説などを聞くことが少ない。そうなると,伝説も,祖父母や父母などに,わたしたちが聞かなければ,話すこともなく,だんだんわすれられてしまう。それに,伝説とは昔の子どもたちが,ひまな時に聞くというだけでなく,わたしたちがおとなになるまでのお手本になるようなことを,話すほうでも子どもに教えたいということが,もとになってきたのではないかと思う。そして,親から子へ,子から孫へと伝えられる伝説も,そのときどきの親や年寄りの願いをこめて話されてこそ,生き生きといつまでもかたりつがれていくのではないかと思った。
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この弘法栗の話は,「つくでの昔話」の中にも『弘法栗』として紹介されています。
この坊まさは,おそらく弘法大師だったのでしょう。そして,大師の“力”に触れた方々が,その地を“豊か”にしていったのだと思います。
弘法大師といえば,明後日6日は「お弘法さま」の接待(縁日)が,地区のお寺などで行われます。
これは,弘法大師が高野山奥の院で入定された日である旧暦3月21日に行われています。
今年は日曜日です。各地に残る弘法大師の伝説を子供達と語りながら,“お弘法さま”を巡ってはいがかでしょう。
【関連】
◇弘法栗(つくでの昔ばなし)
◇5.9. 弘法様(2015/05/09 新城市立作手小学校)
◇昔話『弘法栗』( 2014/09/13 新城市立作手小学校)