集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

輝くんを知っていますか? /『輝 いのちの言葉』(臼田輝・著)

輝1118。 雨の土曜日になりました。冷たい雨が降りました。  今日は,地区の保全会の作業が予定されていましたが,生憎の雨で延期になりました。  先月は土・日曜日に雨が多く降りました。今日の作業は,その雨で延期されたものでした。またしても延期です。  作業は草刈りで,予定地の草が伸び放題(?)になってしまいそうです。  それぞれの都合もありますので,簡単に「雨が降ったので,明日に延期。」とはいきません。次は晴れるかな。  5年前,一人の少年が話題になりました。  「臼田 輝(ひかる)」くんです。  初めて彼を知ったのは,2012年10月3日の新聞記事でした。
   「信じて,ぼくの言葉 重い障害の少年が伝えたかったこと」     (2012/10/03 朝日新聞)  「輝 いのちの言葉」  障害が重いために言葉を理解できないと考えられてきた人々も,実は言葉の世界を持っている。それを社会に伝えたいと願った少年が,志半ばの16歳で亡くなった。かすかな体の動きを拾う特別のスイッチで入力された文章が残された。「せっかくいろいろなこどもたちが ことばをつかっているのに しんじて」。彼の文はそう訴えかける。  東京都港区の臼田輝(ひかる)君。1994年,1歳の誕生日直前にマンションの5階から転落した。生死の境は脱したが,筋肉一つ自由に動かせない。発作があったり,たんがからんだり。寝たきりの生活が始まった。愛育養護学校(港区)の小学部に入ったが,脱臼,劇症肝炎,気胸,肺炎などで入院を重ねた。  そんな輝君が文字の入力スイッチに出あったのは2006年9月,都立光明特別支援学校(世田谷区)中学部1年のとき。国学院大の柴田保之教授=障害児教育=が身体障害者用の文字入力ソフトを改良した。輝君がスイッチに手のひらをかけ,50音を読み上げる音声を聞きながら,選びたい文字のところでスイッチを動かす。そのわずかな反応を拾って柴田教授が入力する。  輝君は1回目,何の動きもなかった。  2回目の11月,かすかな動きがあった。食べたいアイスを尋ねると「」。「ばにら」の意味だった。  07年3月の4回目,スイッチが小さく動いた。1時間余りかけて表現した。 〈せかいからせんそうがずっととだえて てきみかたきめずに くらしていけたらいいのに。〉 (略)
 その内容に驚き,もっと輝くんの言葉を読みたいと,本の注文をしました。在庫がなくなっており,増刷を待って翌月に手元に届きました。  手元に届いた頃,中日新聞のコラム「中日春秋」で輝くんのことが取り上げられました。
  (2012/11/05) 〈てのなかにうつくしいていねんをにぎりしめて いきていこうとおもう。うつくしいていねんは しんじつそのものです。くるしみのなかで ひかりかがやいています〉  美しい諦念を握り締めて生きる。この言葉を書いたのは十五歳の少年だ。臼田輝(ひかる)君は一歳になる直前,都内のマンション五階から落ちた。動くことも,話すこともできなくなった。母の真左子さんは「心も身体も毀(こわ)れてしまった」と思った  数年たって,彼の目が輝く瞬間があることに気づいた。鏡を覗(のぞ)き込むように瞳を見つめなければ,気づかない光だ。十三歳で指先の微細な動きでひらがなを表示する装置に出合い,光は言葉となった 〈へいわがくればいい/うちゅうがえいえんにじかんのあるかぎり/いつのひか ちいさないのちがうまれて/そだっていくように〉 (略)
 記事にありましたが,輝くんは,1歳の誕生日直前,実家のマンション5階から転落し,頭部外傷を受け,四肢体幹機能に重い障がいを負いました。  その彼が,愛育養護学校での津守先生との出会い,光明養護学校(特別支援学校)で柴田先生に出会います。  柴田先生が,輝くんの「ことば」を引き出していきました。  その「ことば」のもつ力と光が,驚きです。  一字ずつの「ことば」が,とても大きな世界観(?)の表現でした。  それから半年,輝くんは,自分の「ことば」について,
 げんきなこどもは ことばをしってから ずっとしゃべりつずけてきたけれど  ぼくたちは けっしてなにもするわけでもなく  ただじっと ことばだけをつかっていきてきた  しかも いちどもそのことばを だれにもはなさずに いきてきたので  のんふぃくしょんのどらまのようなせかいを すごしてきた  だから どらまよりも すさまじいたいけんをしてきた  だから ことばがとぎすまされてくるのは あたりまえのことなのです
と,述べて(書いて)います。  輝くんは,16歳で天に召されました。
 きぼうそらにおもいえがきながら このきれいなとびらをあけて  いいみらいにむかって うえをみつめながら  くるしみは きのうのものとして  あかるいゆめをみながら あるいていこう
 「研ぎ澄まされたことば」  人間の不思議,人の力の働き,彼の命を感じます。  ぜひ読んでみてください。
   もくじ I部  臼田輝  柴田保之(国学院大学人間開発学部初等教育学科教授)  臼田真左子(母)  臼田則男(父)  臼田輝プロフィール II部  津田眞(愛育養護学校 顧問)  輝くんと津守先生との往復書簡 III部  板野昌儀(愛育養護学校 校長)  岩田真直・藤子(同級生の母)  他 23名 「弔辞 津守眞」 「編集後記」 「参考資料〜愛育通信」(1年生〜6年生)
【関連   ◇愛育養護学校    ※トップページに,『輝 いのちの言葉』の注文方法があります。