集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「ベルリンの壁」から。

景色1109。 青空が美しい一日でした。  日差しに勝るがあり,それが寒さを運んできました。「もう一枚着ようかな…。」と思いながらも,何とかそのままで過ごせました。  明日も,よい天気のようです。秋を楽しむ日になるかな。  1989年11月9日,歴史的な日でした。  何があったか覚えていますか。  「」が壊された日です。  今日,ニュースなどで話題になったかもしれません。1945年から東西ベルリンが政治的に分断され,そして壁の建設により1961年から物理的にも分断されていた都市が,東西ベルリンの市民が壁を壊したことで,この日一つになりました。  1989年11月には,東ドイツ政府が東の住民の西への出国を認め,ベルリンの壁は開放されました。  以前の記録を見ると,「壁崩壊25年」となった2014年の「ニューズウィーク(日本版)」誌に,「ベルリンの壁崩壊をめぐる3つの誤解」の記事がありました。  東西冷戦を終結させた“大事件”ですが,多くの人が気づいていない“誤解”があると述べ,代表的なものとして3つを挙げています。
(1) 本当の意味で壁が崩壊したのはハンガリーだった  自由を求める東ドイツ国民の「無血革命」がベルリンの壁崩壊に貢献したのは間違いないが,壁に最初にヒビを入れたのはハンガリーだった。(略) (2) 壁が町を二分していたわけではない  「東西を隔てる壁」と言うからには,町の中心に真っすぐに境界線が引かれ,それが西側世界と東側世界を分断していたと思われがちだ。だが実際の壁はジグザグにうねっており,ベルリンの町をきれいに二分していたわけではない。(略) (3) 政治家の勘違いが壁を崩壊させた  ジーンズ姿の東ベルリン市民が次々に壁をよじ登るシーンを見ると,東欧最強といわれた東ドイツの秘密警察「シュタージ(正式名称・国家保安省)」に社会主義体制の維持を断念させたのは,自由を求める市民の力だったと思いたくなる。だがベルリンの壁崩壊の引き金を引いたのは,ある政治家(ギュンター・シャボウスキー)の勘違いだった。(略)
壁1109。

 アメリカのトランプ大統領が,日本,韓国,中国と訪問をしています。その報道を聞きながら,思われることもいろいろあるかと思います。  もう「ベルリンの壁」はありませんが,新たな「壁」は…。  歴史を振り返り,報道を聞き,いろいろ考えが日でした。