小学1年生「カタカナを数えて…」(1984年)
青空が高い秋の日でした。そこに広がる雲が,絵を描いているようでした。
小学1年では,入学前に“文字が書けた”かどうかに関わらず,鉛筆をもつこと,自在に線をかくことを順に学習し,“ひらがな”から始まり,“カタカナ”,“数字”,“漢字”へと文字が増えていきます。
教育課程(カリキュラム,学習の計画)に従って進められますが,最近では,それを「個の能力に合っていない」とか「個性が生かされない」と言い,“対応を求めて”くるということもあるようです。
先生,そんな経験はありませんか。
そのとき,どのように話をされましたか。
小学1年生がカタカナを練習した時のことを,学級通信の記事(1984年10月25日)で伝えました。
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昨日,国語の時間に,カタカナの練習をしました。最後に「『カンカン,カンカン』と,5回書いたら終わり」ということにしました。
書いたノートを指して,「数えて」と言うと,うまくいく子と,数えられない子といました。ノートへ書く時から工夫している子,ただやたらに続ける子…。
ちょっと考えさせられたこともありました。数字を「じゅう,じゅういち…」とか言えることより,この文字を数えられることの方が,とても大切なことに思いました。
本当の力として働くかどうかの違いでしょう。
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大人は,子供が見せる「書ける」とか「数えられる」「読める」といった“結果”に目がいきますし,関心を持ちます。
今では特別支援教育や学習障害といったことに理解が進んでいますが,結果(成果)第一の判断は少なくありません。結果を出せる“背景”に違いがあり,そこを知り(気づき),整えることで,結果(成果)が見られるようになります。
低学年では,こうした“理解と意識”を,担任(学校)と家庭(保護者)が共にして日々を過ごしていくことが重要だと思っています。
お子さんの学校では,いかがですか。