3-2.1 「交通の変遷」の執筆(1) (昭和に生きる)
天気のよい日でした。日中、気温が上がり暑い日になりました。
朝、まだ花が開いてなかった芽や木が、午後には色鮮やかに見えました。今日の暖かさが勢いをつけたようです。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。
この項は、「昭和49年『交通の変遷』国土社」から構成されています。
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戦後教育史の片隅に生きる
教育行政の歯車のなかで
社会科授業シリーズ「交通の変遷」の執筆
昭和四十九年、国土社から、上田薫先生監修の「小学校社会科の授業」全十巻が刊行された。
このシリーズは、この十数年生気を失い迫力を欠いている社会科に、新たな息吹きを与え、迫力ある社会科にするために、研究者の視点と実践者の体験を通して問題を具体的に鋭く提起し、息のあったコンビの実践を現場の教師のために十分に役立つように編集されたものである。
その4「交通の変選─交通のむかしと今─」をわたしに書くように、上田先生はおっしやられた。はじめてここに一人で書くということになった。分担執筆はこれまで多く書いてきたけれど、すべて一人で書くことに興奮をした。鈴木仁志さんに協力を願ってとにかくがんばるよりほかに道はなかった。
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上田 薫先生の序文
社会科の教育にはきわめて多くの問題点がある。しかし、そのなかでもっとも緊要なことは、この十余年、社会科の学習がかつてのような生気を失い、迫力を欠いていることだと思う。このことをなんとかしなくては、日本の子どもたちは満足な育ちかたをしない。点数だけを気にして生きた社会には問題を感ずることのない子どもがふえているということは、社会にとって見すごしがたいゆゆしい大事である。
もちろん、問題意識だけあって学力の乏しい人間が育ってよいわけではない。しかし社会科の実力というものは、むかしの地理歴史のように暗記した知識ではない。むしろ問題解決学習をまともに実践することによって、底力のある真の学力が育つと考えるべきなのである。そのことが教師の胸にしっかり落ちさえすれば、迫力ある社会科などそうむずかしいものではないと思うのである。
これまではそういう認識が一般に弱かっただけではなく、そういう実践のための手がかりが乏しかったのも事実である。どこでもかならず取りあげられるようなポピュラーな単元についても、ろくろく深められることがなかった。それはある意味で研究者と実践者の共同作業が貧困であったということであろう。この「社会科の授業」シリーズは、研究者の視点と実践者の体験とがしっくり結びついた次元において、社会科の授業を奥深く研究しているのである。
したがって、それは社会科について鋭い問題提起を具体的に行なっている。しかしまた教師たちのために、ペテランであれ新人であれ、それぞれにじゅうぶん役立つような便宜を提供しようとしている。これまでこの種のものがなぜ存在しなかったのであろうかと、わたくし自身いま首をかしげずにいられないのである。おそらくさきにふれたように、研究者と実践者の息のあったコンビが容易に得られないということもあったであろう。が、その点このシリーズについて、わたくしはじゅうぶん満足している。
「交通の変遷─交通のむかしと今─」は、四年の社会科のもっともポピュラーな教材をとりあげ、ぞんぶんに社会科らしい切りこみを展開したものである。読者はおそらくこの教材についてだけではなく、他の教材についても多くの手がかりを得ることであろうと思う。
渥美さんは社会科の指導に卓越したベテランであるが、理論の上でも人後に落ちぬすぐれた見識の持ち主である。この本ではいきがぴったり合った実践者鈴木さんを得て、渥美さんの面目躍如の感がある。
社会科がはじめられたころから、とにかく「交通(乗物)のうつりかわり」というのは、平板になりがちの単元であった。しかしこれがもし立体化された学習を生みだすことができるなら子どもたちの関心からいってもすばらしい効果をあげることになろう。わたくしは渥美さんがあえてこの教材に挑戦されたことに感謝したいと思う。
(一九七四・二)
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(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。