集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「弥生」。 2-1.3 信玄の一夜(2) (昭和に生きる)

春0301。 今日から3月、「弥生」です。  街のスーパーに“春の息吹”を感じる芽が並んでいました。商品に“値段”が付けられていますが、これが適正なのか…。  (以前も書いたかもしれませんが)、旧暦では、「和風月名(わふうげつめい)」と呼ばれる月の“和風の呼び名(和名)”を使用していました。日本書紀から使われ、起源は分からないほど昔から日本人が使ってきたものです。  1月は睦月、2月が如月、そして弥生、これに続けて…、12月の師走まで。  そして、それぞれに由来があり、弥生は「木草弥生ひ茂る月(きくさ いや おひ しげる づき)」という言葉が起源です。「弥(いや)」は“いよいよ”という意味があり、「草木がいよいよ生い茂ってくる」という意味です。  調べると、3月を「建辰月(けんしんげつ)」、「晩春(ばんしゅん)」、「殿春(でんしゅん)」、「竹秋(ちくしょう)」との呼び方がありましたが、初めて知りました。  ニュースが、「今日から3月。今月は3400品目を超える食品が値上げに…。」と伝えるのは必要なことでしょうが、和風月名や暦の話などが増えてほしいと思うのは、私だけでしょうか。  故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。  渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。  本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。  この項は、現代の教育へ続く「戦後教育史」を見ることができます。 ********     戦後教育史の片隅に生きる     青年教師時代 (つづき)  昭和三十年は戦後経済最良の年となった。経済成長九%、物価はほとんど安定し、国際収支は五億ドルの黒字となった。インフレの収束、特需なき均衡、経済自立という復興期の理想が、戦後十年にして到達されたのである。米も三十年は平年作だった前年を三割上廻る空前の大豊作となった。かくて三十一年は“神武景気”と言われる本格的好況の年を迎えることになる。  昭和三十一年一月一日、わたしは新年祝賀式のため登校した。学校の玄関に一通の速達がおいてあった。正月というのに速達とはなんだろうと、とりあげてみると、それは名古屋大学の重松鷹泰先生からわたし宛の便りである。正月早々これは縁起がよいなという思いと同時に、それにしてもいったいなんだろうという少しの不安がいりまじって、とにかく開いてみようと思った。胸がドキドキして開いた“あの瞬間”を今も想い出すことができるのである。  わたしが書物や雑誌に、いろいろ原稿を書くようになった最初の依頼が、この三十一年正月の速達であった。原稿用紙二十枚、一か月という期限であったが、それにしてもテーマはまったく手のつけられるような代物ではなかった。しかし、わたしにとって記念すべき貴重な処女論文となるのである。 風邪0301。 それは、明治図書講座、社会科教育全七巻を、飯塚浩二、梅根悟、海後宗臣、重松鷹泰、長坂端午、馬場四郎、樋口澄雄、和歌森太郎の諸氏を編集委員として企画されたものであった。その第二巻が重松先生責任編集の社会科教育の基本計画で、わたしの分担は「2 単元構成の原則 4 基本的知識・技能の吟味」という項であった。まえがきに重松先生が「……わたしが上田薫氏の協力を仰いで、執筆者各位を選定し、また、執筆事項に注文をつけて作製したものである。……」といってみえるところをみると、おそらく上田先生がすいせんしてくれたのであろう。けれども拙い文章であるがために、先生は添作をしてくださったのである。そのなかで“一犬虚に吠えて、万犬実を伝うるごとく、全国的な問題となって、近視眼的な人びとをおびえさせている”という挿入をしてくださったことが、どうしたことか、今も妙に記憶に残って離れないでいるのはどうすることもできない。先生にご迷感をおかけしたことだと思っている。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で  注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。