今日は「
節分(せつぶん/せちぶん)」です。
暦では、「
四季(春・夏・秋・冬)の始まりの日の前日」のことで、年に4回ありますが、特に断りがなければ「
立春の前日」を指しています。
旧暦で“
立春を新年”とすることから、“
節分は大晦日”にあたります。新しい年を迎えるために、前年の邪気や厄病を追い払い、幸福招来を祈願して「
鬼遺(や)らい」の儀式が執り行われました。
こうした習わしが、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立て、豆をまいて、邪気を追い払う
追儺の行事として続いています。
「
恵方」は、その年の十干によって定められる、最もよいとされる方角で、その方向に
歳徳神がいるとされます。
今年の
恵方は「
南南東」です。
丙・辛の年 丙(巳午の間)≒南南東
西暦年の末尾 1,6
丁・壬の年 壬(亥子の間)≒北北西
西暦年の末尾 2,7
戊・癸の年 丙(巳午の間)≒南南東
西暦年の末尾 3,8
甲・己の年 甲(寅卯の間)≒東北東
西暦年の末尾 4,9
乙・庚の年 庚(申酉の間)≒西南西
西暦年の末尾 0,5
◇おまけ 「
恵方巻」についてのメモを掲載。
◇「節分」の話題は,何?(2017/02/01 集団「Emication」)
「巻き寿司の丸かぶり 」が、コンビニ戦略(?)で全国区になり、鰯の頭と柊の葉を門に挿しておくという“こと”を知らない子供が増えてしまいました。
時代が変わったと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、古くからの習慣、風習には、生きていく智恵が隠れているものです。“非科学的だ”とされた東洋医学も、西洋医学以上の力を発揮する場面もあります。
新しいもの古いものが“共存・共生”していくことが、これからの生き方に大切だと思うのですが、いかがでしょうか。
文武天皇の世、
慶雲3年(706年)に疫病がはやり多くの百姓が死んだため、「土牛」を作って疫気を祓ったという記事が、続
日本書紀に出てくるそうです。それが、
追儺の行事の始まりであるとされています。
この土牛を使う儀式は、中国の
礼記に「土牛を作りて寒気を送る」とあることを参考にしたものと思われますが、
陰陽師たちによってやり方が整えられ、
平安時代の頃には、次のような形に発達していました。
大寒の日に、宮中の12の門に、12組の土
牛童子を立てます。これは、
童子が牛を引く形の人形でですが、東の陽明門・待賢門には青い土
牛童子、南の美福門・
朱雀門には赤い土
牛童子、西の談天門・藻壁門には白い土
牛童子、北の安嘉門・偉鑒門には黒い土
牛童子、そして残りの東の郁芳門・南の皇嘉門・西の殷富門・北の達智門には黄色い土
牛童子を立て ます。これを
立春の日の前夜半時に撤去するのだそうです。
この5色の配置は,五行の配色となっているそうです。
また、「
鬼」という字は、「おに」と読んでいる訳ですが、「おに」という日本語はもともと、「
おん」つまり「
陰」のことです。目に見えない気、主として
邪気のことを「おに」と言ったわけですが、十二支の丑というのも陰陽でいうと陰になります。いろいろと、節分の行事には、符合があります。
ちなみに、鬼が牛の角をつけ虎の皮のパンツをはくようになったのは、後世のことです。このときも、鬼門が
丑寅の方角なので、牛と虎に関したものを身につけるようになったといわれます。
豆まきでは、年男(その年の干支の生まれの人:今年12,24,36,48,60,72,84,96,108,120歳…になる男の人)、あるいは一家の主人が、「
福は内、鬼は外」といいながら煎った大豆をまき、みんなが自分の年の数だけ豆を食べるとこれから、一年病気にならないと言われています。また、妊婦のいる家庭では、この豆を安産のお守りにもするそうです。もともと、宮中の行事が一般家庭に普及したものとされています。
さて、この大豆ですが、硬く、 硬いものというのは、「木火土金水」の五行では、「
金」に属します。この大豆は、最初煎ることによって火気にあてられ、「
火剋金」の原理で剋された上に、「鬼は外」といって外にまかれて捨てられたり、「福は内」といってまかれてから人々に食べられたりして、豆はみんな「
やっつけられてしまいます」。
古来、疫病や災厄というのも金気に属するものと考えられていました。ですから、豆というのは、鬼をやっつける道具でありながら、実は鬼そのものでもあるわけです。
豆まきというのは、邪気を祓うとともに、「金」の気を剋することで「金剋木」で、金気に剋されるはずの
「木」の気、つまり、春の気を助ける行事、春を呼ぶ行事でもあるのです。
豆まきのときに発する声は…
※ 最近は変わったかもしれないけど
○ 仏立山真源寺(東京都台東区) →「福は内、悪魔外」
○ 金峯山寺蔵王堂(奈良県吉野郡吉野町)→「福は内、鬼も内」
○ 大須観音(愛知県名古屋市) →「福は内」のみ
○ 成田山新勝寺(千葉県成田市) →「福は内」のみ
○ 群馬県藤岡市鬼石地区 →「福は内、鬼は内」
○ 宮城県村田町 →「鬼は内、福も内」
○ 鬼頭さん、九鬼さんなど名字に「鬼」のつく家 →「鬼は外」以外の口上が多い
○ 伝統的な商家 →「鬼は内」 など
鰯の頭と
柊の葉を門のところに挿しておく習慣です。これは、鰯の頭はその悪臭で、柊の葉はその先のとがったところで、鬼を追い払うからと言われています。
にんにくやネギ、髪の毛という地方もあるようです。
いづれも邪気を祓うためのものだと思います。
“鬼退治”では、「
酒呑童子」などの多くの鬼が
大江山に住み、その退治に「
源頼光」が任命され向かったことが有名です。その一行には「
足柄山の金太郎」として有名な「
坂田金時」がいました。
以下に
「大江山」のお話を載せています。
御伽草子に出てくる話ですので、この他にも、いろいろあるようです。
《読み物》
◇「大江山」(昔の教科書より)
《参考;テキスト版》
◇『大江山』(漢字に直されています)
【おまけ】
豊川市中央図書館・ジオスペース館の児童コーナーでは、「
オリジナルぬり絵」が配付されています。
毎月絵柄が変わり、今月は「
2月/3日は節分、5日は笑顔の日」です。
ぬり絵は、ホームページの〈
「とびら」&「しおり」の楽しいぬりえ〉からダウンロードできます。
※ 右の絵をクリックで「2月」へ
あなたもぬり絵をしてみませんか。