古宮城址 (作手見聞録)
晴れて青空の一日でした。
来週末に『フォーラムエイト・ラリージャパン2022大会』(WRC世界ラリー選手権)が開催され、週明け月曜日から選手のレッキ走行(下見走行)が始まります。
今日通ったところでも、コースそして周辺の準備が進んでいました。
良いコンディションのもとで、最高のレース、熱戦が楽しみです。
旧作手村が、地域情報をまとめたA5サイズの冊子『作手見聞録』を作成し、配付していました。数回の更新があり、表紙の異なるものがありました。
発行年が明確ではありませんが、手元にある冊子から順に紹介します。
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作手見聞録
こんなに楽しい作手の五城址
古宮城址
亀山城と川尻城を結ぶ直線の半ば、湿原中に堀起する比高差34m、長径約250m、短径200mの独立した青山全体を城地としたもので、立地からいえば平山城に属する。外見は一つの円丘と見える宮山も、仔細に見ると中央部に北から深く入り込んだ谷があり、これに呼応する両側にも浅い谷があって、あたかも駱駝の瘤の如く、城地は東西の二城に分かれている。各丘の頂上谷側に本丸以下主要塁郭を置き、他の三方に二重・三重に濠を掘り、土塁を連ね、曲輪を重ねるという防禦本位の梯郭式の城を、二つ連絡した一城別郭式である。
さきに本城は湿原中にあるといったが、正確には西の一部が本城山麓の台地に連っており、ここを堀切って水濠又は泥濠とし、西方からの侵攻に備えた。今は国道301号線から分岐して、鴨ヶ谷方面に通ずる県道清岳玖老勢線が、東端白鳥神社前を過ぎているが、中世も交通事情は全く同じで、泥濘背丈を没する大湿原を横断する道は、めったに変更できない。したがって本城への攻撃は東西の双方が可能であるが、東方鴨ヶ谷口は人一人、馬一頭がやっと通れる湿原中の小径では、一時に多人数の通行は不能である。そこで戦争の攻撃路は西方市場口しかない。このため地続き部分に濠が二重あるいは三重に掘られたわけで、現在西北部に遺構が残されている。したがって二城の分担は明らかで、東城が守備の中心で首将の居るところ、西城はその前衛として敵の攻撃を少しでも永く阻むための、あらゆる工夫が加えられ施された。 当城の築城は元亀二年で、山家三方の雄奥平氏も武田氏の武威に屈し、人質を出してその麾下に加わったとき、その押えとして馬場美濃守信房に命じ繩張させた。馬場氏は人も知る信玄の信望篤き名将で、その築城術はのちに甲州流として世に喧伝されている。全山余すところなく地形に応じて塁郭を配置し、全く一分の隙間もない名城であるが、守るに人なければ万般の施設が生きず、天正元年八月にはあっけなく自焼陥落してしまった。
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注)これまでの記事は〈タグ「見聞録」〉で
【掲載記事から】
◇古宮城址 (作手の名勝と史跡めぐり)(2021/05/11)
◇「ジョウという初期の城」(続 つくで百話)(2019/12/02)
【関連】
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