集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

つくでの昔ばなし「こうやまき」 (作手見聞録)

花1013。 雲りの一日で、気温の上がらない一日でした。

 今朝、中学校の校長先生からお話を伺いました。

 最近のこと、研究発表会のこと、そして…

 新しい情報をお聞きできました。そして、いろいろ考えました。次は…。

 ありがとうございました

 旧作手村が、地域情報をまとめたA5サイズの冊子『作手見聞録』を作成し、配付していました。数回の更新があり、表紙の異なるものがありました。

 発行年が明確ではありませんが、手元にある冊子から順に紹介します。

 伝わる“つくでの昔ばなし”から、本冊子では前回そして今回の2話が掲載されています。

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    作手見聞録

    つくでの昔ばなし

  こうやまき

 甘泉寺で、百年ほど前におこった話です。境内を色どったもみじも散ってしまったある朝のことです。

 「おしょう様 おしょう様 大変です!」

 庭そうじをしていた小僧たちが、さけんでいます。

 「どうしたのだ。」

 おしょう様は何ごとかととびだしてきました。

 「あれを、ごらんください!」

と、小僧の指さす方をみると、朝日がさしはじめたばかりの、こうやまきの高い枝の間から、青い煙がたちのぼっているのではあリませんか。

 「あっ、これはこまったことになった。禅師様のお植えなされたこうやまきの中へ火が入った。昨夜は、夜中から風がでたでな……。」

 「おまえたち早く知らせて人をよんでおいで。」

 小僧の一人が、参道の石段をかけおりていきました。おしょうを始め、みんなは、

 「水だ!」

 「はしごだ!」

と、あわてふためいています。

 きのうは、檀家も寺方も総出でもみすりをしたのです。夕方、手伝いの人々は、いつものように、もみがらやごみを、こうやまきの石段の下の広場へ集めて、火をつけて帰ったのでした。

 それが、夜中の強い風にあおられ、火の粉が根元の穴からはいりこみ、田の空洞でくすぶっているのです。やがて、近所の人たちがかけつけてきました。聞き伝えた村の人たちも、われもわれもと集まって大さわぎになリました。みんなどうしたらいいのかと、樹のてっぺんを見上げるばかりです。こうやまきの樹は、周囲二丈(7メートル)余り、樹の上まで六丈(20メートル)はあろうかという大きさです。

コウヤマキ1012。 「何とか、消せまいかのう。」

 たすきがけのおしょう様がいいます。

 「はしごがあっても、最初の枝にもとどかねえ。こんな樹へ登りようもねえしなあ。」

 手伝いの人もいいます。

 「上の穴から、水を入れるったって、水をもっていきようがねえわ。」

 村の人も、くちぐちにいいます。

 そのうちに、一人の老人が、

 「これは、しょうがねえで、赤べっとう(赤土を水でねったもの)で穴をふさいでみたらどうかのう。」

と、いいました。

 「おお、そうだ! それは、いい考えだ。」

 人々は、赤土をはこび、ねり、根元の穴へ石をつみ上げたりして、ぬりこみました。

 ようやく、穴はふさがリました。

 「すぐには、消えんけど、そのうちには消えるだら。」

 「樹の穴が、上まで通っとるだのう。」

 「えれえもんだのう。」

 「穴の中の五郎助(フクロウ)もびっくりしやがったわな。」

 がやがやいいながらも、いくらか安心して家へ帰っていきました。

 その後、火のいきおいは、弱くなリましたが、なかなか消えてしまわなかったのです。どこかに風のとおる所があったのか、七日七晩くすぶリつづけました。そのうちに、雨がふり、ようやく煙がのばらなくなったといわれています。

 でも、当時の人たちも、この知恵者の老人が、だれであったのか、わからなかったということです。今もなお、その時の赤土が、穴の回リには残っています。

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 注)これまでの記事は〈タグ「見聞録」〉で

【参考】

  ◇こうやまき (その1)(つくでの昔ばなし)

  ◇こうやまき (その2)(つくでの昔ばなし)

  ◇「甘泉寺夜話(4 こうやまき)」(つくで百話)(2019/06/19 集団「Emication」)