2.(12-3) 戦後の作手村 (わたしたちの村)
「関東甲信と東北で梅雨明けした…」と気象庁の発表がありました。
東海地方の梅雨明けは発表されていませんが,青空に夏雲の浮かぶ晴れて暑い一日でした。
梅雨明けとともに“夏の暑さ”がやってきます。気候の変化に対応し,暑さに負けないように体調を整えましょう。
郷土読本『わたしたちの村 つくで』(1995・平成7年 改定発行)の「二、作手のうつりかわり」からです。
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(十二) 戦後の作手村
3 生活改善運動
戦後の苦しく不安な生活の中で,明るい生活を作り上げることをめざして,作手村に婦人会が作られたのは,1946(昭和21)年でした。婦人会は生活改善をとなえ,特に結婚改善や台所改善をしようと呼びかけました。
明るく健康な生活をするために,暗くよごれがちな台所をなおそうという運動がかなり広がり,1950(昭和25)年ごろから,作手村でも,台所をつくりかえたり,新しく建てたりする家がふえました。しかし,結婚改善は思うような効果はあがりませんでした。
戦後の生活の不安がおさまりはじめた1950(昭和25)年ごろから,村の人たちのくらしが落ち着くとともに,新しい村づくりへの動きも始まりました。若い人で村に残っている人も多く,青年団の活動もさかんで,新しい農業をめざして,がんばる人たちもたくさんありました。
4 工場で働く人々
1965(昭和40)年ごろから,日本の商工業がめざましく発展するにつれて,農業だけでは生活がしにくくなってきました。その結果,若い人たちは村を出て働くようになり,また農業をしながら新城市や岡崎市などへ働きに出る人もふえてきました。一方,1970(昭和45)年ごろから作手村にも工場がつくられるようになり,そこで働く人々もふえてき
ました。
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注)これまでの記事は〈タグ「わたしたちの村」〉で
注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。
注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。
関東は梅雨が明けたよー!#tennis#梅雨明け pic.twitter.com/QeYhVUzIBt
— ガチャピン【Gachapin】 (@GachapinBlog) July 16, 2021