集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

2.(8-3) 明治の初めの作手 (わたしたちの村)

蛙0629。 朝,雨が降っており,ワイパーを動かして出かけました。  日中,雨が上がり青空に夏の雲が目立ってきました。気温が上がり暑い日になりました。  郷土読本『わたしたちの村 つくで』(1995・平成7年 改定発行)の「二、作手のうつりかわり」からです。 ********     (八) 明治の初めの作手    3 文明開化のころ  明治になると,日本は進んだ外国の文化を取り入れて,外国に負けない国になろうとしました。  作手にも,1874(明治7)年に,高里郵便局のもとになった長者平郵便取扱所ができ,続いて守義郵便局のもとになった御領郵便取扱所(明治9年)もつくられました。  しかし,「文明開化」は,東京などの大都会のことで,山の村である作手の人びとのくらし方や考え方は,江戸時代とあまり変わりませんでした。 寺子屋0629。    4 小学校ができるまで  明治になって,小学校ができるまで,寺子屋へかよって,文字やそろばんを習う子どもがありました。作手にあった寺子屋は上の表のどおりですが,どんなようすであったか,くわしいことはわかっていません。( )の中の年号は,その寺子屋ができたときを表します。  寺子屋は,お寺でおしょうさんが開くことが多かったのですが,農民で寺子屋の先生になった人もいました。  明治になってからできた寺子屋もたくさんあって,上の表のとおりです。また,あまり長く続かなかったものも多く,なかには,2〜3年でやめてしまったものもあります。  けれども,小学校のもとになった寺子屋があり,また,小学校ができてからも,寺子屋で勉強する人もあって,寺子屋は大事な役目をはたしていたことがわかります。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「わたしたちの村」〉で  注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。  注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。