集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

2.(8-2) 明治の初めの作手 (わたしたちの村)

花0628。 曇りの一日でした。  郷土読本『わたしたちの村 つくで』(1995・平成7年 改定発行)の「二、作手のうつりかわり」からです。 ********     (八) 明治の初めの作手    2 村の合併  1878(明治11)年に,郡と町や村についてのきまりができ,江戸時代から続いてきた小さな村がいくつか合わさって,大きな村や町になりました。  作手では,それまであった34の村が,17の村になりました。どのような村ができたかは,下の表を見てください。
作手村0628。
 また,このとき,大区とか小区というきまりがなくなり,第13大区であった設楽郡は,南設楽郡北設楽郡に分かれました。  このとき,新しくできた17の村に戸長をおき,戸長役場がつくられました。戸長になった人の家を,戸長役場にし,「○○村戸長役場」というかんばんをかけました。これが,村役場の始まりです。  1889(明治22)年に,市町村についてのきまりができ,17の村は9つになりました。そして,戸長をやめて村長にしました。役場0628。  それまでの戸長役場は村役場になり,作手では右の表のように3つの村役場ができました。  明治のはじめの村の名前は,地区の名前として,明治11年にできた村の名前は,大字の名前として,今も使われています。
********  注)これまでの記事は〈タグ「わたしたちの村」〉で  注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。  注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。