集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

石橋城址。イヌツゲ。 (作手の名勝と史跡めぐり)

花0515。 雨の降りそうな空でしたが,晴れ間も見られる曇りの日でした。  録画した『英雄たちの選択』から,見ていなかった「100年前の教育改革〜大正新教育の挑戦と挫折〜」を見ました。
 目前に迫る2020年の教育改革。子供の自発的学習を促すアクティブ・ラーニング等が、教育現場を大きく変えようとしています。  今から100年前、それを先取りするような改革がありました。大正新教育運動です。与謝野晶子など名だたる芸術家や教師たちが、草の根から子供中心の教育を掲げて活躍しました。しかし、運動は20年ほどで下火に。大正新教育は、何を目指し、なぜ挫折したのか?現代にも通じる教訓を徹底討論で明らかにします。
 “旧きこと”に,新しいことのヒントやアイデアが見つかりそうですが,それをする“とき”を持つのがなかなかできません。  立ち止まることが大切です。  『作手の名勝と史跡めぐり』(発行1997年?)からです。 ********     石橋城址  この石橋城址は現在「石橋山 慈昌院」と呼ばれ,ご本尊に釈迦如来を安置し,臨済宗のお寺となっている。
 天文六年(1537年)九月二十二日 一族奥平弾正(父は貞久の二男久勝)は公(貞勝)の若年なるに乗じて,不軌を図らんとす。公之を探知するや土佐定雄(貞久公の五男和田出雲貞盛二男)をして,その居館を急襲せしむ。定雄賜う所の長槍を揮うて弾正をたおす。
と,中津藩史貞勝公の条に記されている(作手村誌)  北側上塁の前に弾正宮の石祠を祀る一角があり,その傍には住職の無縫塔(ムホウトウ)とともに宝篋印塔(ホウキョウイントウ)一基がある。弾正の墓であるといわれている。  余裕があれば参拝したい。 ******** イヌツゲ0515。    イヌツゲ  善福寺への参道の途中,右側をちょっと注意しながら進めると,石仏たちが並んだ小さな塚が見える。その上にイヌツゲの二株が目にはいる。  昭和二十九年二月に愛知県指定天然記念物である。樹齢約百年と推定され,南へ仲びている方の幹囲,古木のため,やや根元が枯れているが,最近樹勢が回復してきた。 岩0515。 また,ここから東側の山付きを見ると,大きな岩と,それを取り巻くような樫の木が見える。近くまで行って眺めてみよう。  大きな岩をじっと眺めていると,仏の頭の部分のように見えてくる。仏頭岩(ブットウイワ)と名付けている。この“仏頭岩”を囲むようにアカガシが空高くそびえている。この様子があたかも金剛力士が仏頭岩を護っているようにもうかがえる。樫の木の根が一本一本力強く空へ伸びているようにも見えてくる。名付けて“雲龍ガシ”といつのまにか呼ばれている。 《写真上》 イヌツゲ 《写真下》 仏頭岩と雲龍ガシ ********  注)これまでの記事は〈タグ「史跡めぐり」〉で 【関連】   ◇英雄たちの選択NHK