集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

古宮城址 (作手の名勝と史跡めぐり)

かきつばた0511。 天気のよい暖かい日になりました。屋外で少し動くだけで“汗が噴き出す”感じのする一日でした。  帰りの途中で,カキツバタの群生地に立ち寄ると,一面に綺麗な姿が広がっていました。  ゆっくり味わい,愛でました。保護に携わっている方々に感謝。  『作手の名勝と史跡めぐり』(発行1997年?)からです。 ********     古宮城址  甘泉寺から市場地内に入り国道301号へ出る少し手前にこんもりとした森がある。ここが古宮城址である。亀山城址と川尻城址を直線で結んだほゞ真ん中にこの古宮城址がある。森の中へ入ると市場白鳥神社の奥の一段と高くなったところから頂部が城跡である。  武田信玄が京へ昇るために築いた最前線基地であり,遠来の見学者が多い。  白鳥神社の鳥居をくぐると正面に拝殿がある。祭神が日本武尊で創建は定かでない。左手に村芝居を上演する舞台がみられる。昔から作手村は村芝居が盛んで,神社の祭社には「地狂言」が行われた。  作手歌舞伎の始まりについて,柴田功氏は次のように現している。
 作手における歌舞伎の始まりは松平忠明作手藩主として作手を治めた時代にさかのぼることができる。忠明は敬神崇祖の念が厚く,武田氏進攻により焼却された神社・仏閣を再建し,広く農事を興し,段戸山で金山を発見してカを蓄え,民意を収撹した。氏は猿楽の達人で郷社に舞台を建設し奉納した。(以下 略)
古宮城0511。 太平洋戦争が終わり,作手にも平和が訪れると,各神社では「地狂言」や「買狂言」などが盛んに行われた。しかし,昭和24年ごろを最後に,映画やテレビジョンの発達によってだんだんと姿を消していった。現在「若芽会」(会長 斎藤孝子氏)がその跡を継いでがんばっている。  ここ白鳥神社の舞台は〔回り舞台〕の設備が施され,当時としてはすばらしい舞台施設であったことがうかがえる。(現在では回り舞台の仕掛けは取り外されている)  この白鳥神社の右手の社務所裏側に山へ登る細い階段がある。これをたどっていくと古宮城址に出る。この城について作手村誌によると,古宮城縄張図0511。
 当城の築城は元亀二年(1571年)で,山家三方の雄奥平氏も武田氏の武威に屈し,人質を出してその麾下に加わったとき,その押さえとして武田信玄が宿老馬場美濃守信房に命じ縄張させた。馬場氏は人も知る信玄の信望篤き名将で,その築城術はのちに甲州流として世に喧伝されている。全山余すところなく地形に応じて塁郭を配置し,全く一分の隙もない名城であるが,守るに人なければ,万般の施設が生きず,天正元年八月にあっけなく自焼陥落してしまった。
とある。古宮城要図を参考にして,くまなくあるいてみるのも,この城を知る上でたいへん興味が湧いてくる。ゆっくりと歩いてみよう。  ここから次は亀山城址に行くことにしよう。 《写真》 市場白鳥神社と村芝居舞台 《図》 古宮城要図(クリックすると大きく表示します) ********  注)これまでの記事は〈タグ「史跡めぐり」〉で  YouTubeで見つけた「古宮城」の紹介です。説明付き。
 こちらは,映像のみ。出かける前のシミュレーションにどうぞ。